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第49回往復書簡 まびき菜

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

 国分寺の通りには農家の直売所がいくつもあって、散歩の途中、よくそこで野菜を買ってくる。畑のそばに小さな小屋を建てて、なかには農家の人が作った弁当など売っているところもあるが、たいがいは無人で小さな料金箱が置かれている。値段は百円か二百円と切りがいいので、つり銭も必要なく、僕は小さな財布に百円玉を何枚か入れて散歩に出かけていく。
 いまは葉付きの人参と大根や白菜、かぶなどの間引き菜がよく並んでいるのだが、まびき菜は一般のスーパーなどでは手に入らないのでありがたい。持ち帰ると、新鮮なうちに洗い、塩をして漬物樽に重しをのせて漬け込んでおく。翌朝、水があがったら小さく刻んで、一味唐辛子とほんの少しの醤油をたらしてめしにのせて食うのだが、ちりめんじゃこなどあれば、さらにいい。僕は、これが子供の頃からの大好物なのである。熱々の豆腐の味噌汁と卵焼きなんぞあれば、もう何も言うことはない。ふうぅ、うめぇなぁ、うめぇなぁ、とため息まじりにめしをかき込むのだが、昨日は調子にのって四杯も食べたために、腹がふくれて午後まで仕事ができなかった。「腹八分目に医者いらず」を食堂のどこかに貼っておかねばなるまい。
 人参葉は、さっと茹でてからオリーブ油とにんにく、くるみと一緒にフードプロセッサーでペースト状にして、スパゲティジェノベーゼを作る。人参の根の方をおろし金で細かく刻んで塩もみしたのと、パセリ、ゆで豚などと混ぜ合わせてレモン汁を絞り、粉チーズをかけて食べるのであるが、これがまたうまい。我が家では、食べすぎを避けるためお昼のスパゲティは一人百グラムと決まっていて、妻はきっちりとその分量で麺をゆでるのだが、僕がやると、もうちょっと、いやいや、さらにもうちょっとと、結局二百グラム以上茹でて大盛になってしまう。どうしても腹いっぱい食いたいという欲望に勝てないのである。
 秋は魚もうまくなる。毎晩のように、七輪でコマイの一夜干しを焼いたり、焼いたホタテにバター醤油をつけたりして、魚介を肴に酒を飲む。魚は肉よりも食っているときに心の起伏がおだやかになって、落ち着くような気がする。このあいだ、魚料理が苦手だという人がいたので、失敗しない料理をいくつか書いておこう。
 まずはサンマとイワシ。これは、腹わたをぬいて、頭ごとブツ切りにし、しょうがの薄切りと昆布を敷き、圧力鍋に並べ、酒、みりんを少々、しょうゆ、砂糖で味付けをして三十分ばかり煮ると、骨ごと食べられるうまい煮付けができる。イワシの方は檀一雄式に、梅干しとお茶を入れて煮るとなおうまい。
 サバは、皮の方に包丁ですっと三本ばかり切れ目をいれ、酒、みりん、しょうゆ、砂糖を同量混ぜ合わせたものと鷹の爪、生姜の薄切りと一緒に鍋に入れ、落し蓋をして中火で皮を上にして煮る。水は一切加えない。こんな濃い味でいいのかと心配になると思うが、大丈夫。ひとしきり火が通ったなと思うところで火を止め皿に盛り、どろっとした煮汁をかけて食べる。魚好きの父から教わった調理法で、僕はこうしてやるようになって、魚を煮て失敗する不安がなくなった。金目でもカレイでもおなじふうにやる。こういうのを食べていると、なぜか、ほうれん草のおひたしが食いたくなってくる。
 もうひとつ、ブリの食べ方。富山ではブリの刺身を大根おろしとしょうゆで食べる。あの町で食う寒ブリは、たくましく身がひきしまっていて最高だ。それに、立山連峰から流れてくる水で仕込む酒が後押ししてくる。こうして食べると、臭みがぬけてさっぱりするうえ、ブリの身の甘みというか、味わいが際立ってくる。もちろん、ブリしゃぶに大根は欠かせないだろう。僕は、富山でブリと大根との相性の良さをあらためて知った。ブリ大根は、ブリのアラと大根のブツ切りをしょうゆ、酒、みりん、砂糖で好きに味付けして煮ればよいと思うが、臭みをとるために、煮る前に塩と熱湯で霜降りにする手間だけは惜しまない方がよい。そして、これから寒くなると、なんといってもカキにアンコウであるが、このへんでやめておこう。
 魚料理は、だいたいレモンを絞るとうまくなる。先日、別府の友人から庭で収穫したというカボスが箱いっぱい送られてきた。薄切りのカツオに塩と胡椒をして、ごま油で焼いたのに贅沢に絞ってみたのだが、これは格別であった。
  (10月25日日曜日)

畑道 月金帳49


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