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第204回往復書簡 東京ものがたり、10時40分

 石田千 →    牧野伊三夫さんへ 

 文化の日の三連休に、母が東京にきてくれた。
 列車のきっぷ、宿の手配、初日の夕食の予約、みんな兄が決めてくれるとのことだった。
 いっしょに、泊りたい。じぶんのぶんは、お支払いしますからと、頼んでいた。行程すべてがととのった。兄からのメールにびっくり。宿は、東京のどまんなか、帝国ホテルだった。
 ふたりで2泊、どのくらいかかるんだろう。しばらくして、追伸がとどく。今回は私が支払いをしますから、ゆっくりたのしんでください。
 5歳うえの兄は、ことし還暦をむかえた。お祝いといっても、ランチタイムにうなぎをごちそうしたくらい。こんなぜいたくに、どうお返ししたらいいかわからず、ひとまず宿代は甘えることにした。そうしてふつかめの夕食の手配を担当すると返信した。
 母が前回きたのは、17年まえ。兄が結婚したときかもしれない。あのときは、父もいっしょだった。
 今回の旅の目的は、兄夫妻のマンションにいく。それから、東京にいたころにお世話になったかたに、お礼がいいたい。
 17年ぶりの新幹線。母がいちばん心配していたのは、自動改札と、ホームドアだった。娘のほうは、あいかわらず、除菌の荷づくりだった。
 兄が母をむかえにいってくれて、夕方に帝国ホテルのロビーで待ちあわせ。
 大荷物を両肩にかけて、フロントのまえで待っていると、兄といっしょに、すたすたと歩いてきた。それだけで、泣きそうになった。
 夕食のレストラン、家族4人そろっての食事は、4年ぶりだった。兄が選んでくれたのは、銀座にある父の好きだったスペイン料理店だった。なつかしいメニューをあれこれ頼み、父のことをはなす。お父さんも、お母さんのスーツケースにのっかって、ちゃんとついてきていた。
 兄夫妻と銀座でわかれて、ホテルまで、夜の銀ブラ。好天の三連休で、あたたかな夜で、ほんとうによかった。
 母は、ホテルの朝ごはんは、たくさんで食べられないという。それで、大好きなオ・バカナールでパンを買って、コンビニでヨーグルト、バナナ、お水を買って部屋に帰った。
 タワー棟の部屋からは、日比谷公園の暗がりと、虎ノ門の高層ビルが見えた。
 ……ああ、東京だ。
 母は、窓にはりついて、見ている。
 小津安二郎の映画では、お母さんが亡くなってしまった。うちは、お父さん。
 モノクロのように、背なかを見ていた。
 翌日は、早起きをして、かんたんな朝食とる。母は、バカナールのパンを、とてもおいしいとよろこんでくれた。
 地下鉄から中央線、ホームドアにもすっかり慣れて、さっさと乗りこむ。中央線がなつかしい東中野を通るときは、ふたりで首をぎゅうっとねじって窓をみていた。
 家族で東京に住んでいたころ、母は、同郷のかたで、西荻窪で仕立てをされているかたから、仕事をいただいていた。
 うちは、東北の会社から転勤で東京にでてきた。父のお給料だけで生活するには、物価が高すぎる。ふたりのこどもの学費もあって、ほんとうにたいへんなことだった。そういう事情を察して、そのかたは、母に途切れず仕事を頼んでくださったのだと思う。
 小学生のころ、母にくっついて、そのかたのおうちまで歩いた。いまの西荻窪も、道のはばや、商店街のおっとりした感じは、かわっていなかった。住所をたどり、このへんかなとまがる。おくにいくと、なつかしいおうちが、そのまんまにあった。
 再会がかない、母は、そのかたの両手を、しっかり握った。
 ……助けていただいて、ほんとうにありがとうございました。
 ふかぶかと、お辞儀をしていた。
 父が亡くなって、いろいろな病気で入院もした母は、この再会のために、がんばってひとりで東京にきた。10歳うえのそのかたも、母のことをしっかり覚えていてくださった。ほんとうに、よかった。
 夕食までの時間は、丸の内をぶらぶらして、カフェでピザとカレーを食べた。
 夜は中華のレストランで、ゆりさんもきてくれた。ゆりさんは、実家にたびたび遊びにきてくれていて、みんなおいしいと喜んでくれたけれど、コース料理に飲み放題までふくまれていて、宿代のお礼にはずいぶんたりない。
 帰る朝は、10時40分の新幹線。
 きのうとおんなじ朝食をすませ、スーツケースは宅配便で送ってもらった。
 東京駅で、おみやげのチョコレート、明日のパン、お昼のお弁当を買って、いっしょにホームにあがった。
 車内までいっしょに入って、それじゃあ、またお正月にね。
 ホームに出て、母に手をふる。となりのひとが気づかれて、母に教えてくださった。するすると、新幹線は走り出す。母は、手をふったまま、みえなくなった。
 そのとたん、わんわん泣いた。なんだかわからないけど、腰を折ってわんわん泣いた。
 あんまり泣いていて、お掃除チームのかたに、だいじょうぶですかと声をかけられた。そうして、はたと泣きやんだ。
 キオスクで、大好きな大船軒のしらす弁当を買って、両肩に大荷物をさぶらさげて、ゆさゆさと帰った。

  晩秋の銀座の夜に母といて    金町
  (11月24日金曜日)


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