見出し画像

第66回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

黒いバターの散歩

 先月の終わりに、はるか君と一日一緒に玉川上水を歩く。前日までの雨で遊歩道がぬかるんでいて、歩いていると靴の裏に泥がついてだんだんと重たくなるので、途中で何度か木の根になすりつけた。その泥のかたまりがバターナイフでパンにバターをパンにぬったときのような形であったので、僕らは、この日の散歩を「黒いバターの散歩」と名付けることにした。立川通りを過ぎたあたりで、野鳥の群れに囲まれてしばらく足をとめ、啼き声を聴いていた。そのうちふとオリビエ・メシアンの「鳥のカタログ」のことを思い出して、彼が曲を作るために野鳥の声をスケッチしていたという話をする。
 水道局の施設のあるところでお昼になった。僕らは桑の木の下のベンチで新聞紙にくるんで持ってきたにぎりめしの弁当を広げ、パーコレーターのケトルで湯をわかし、インスタントの味噌汁を作った。食べ終えると珈琲を淹れ、しばらく二人でボンヤリと話をしていたが、そのあと玉川上水駅そばの古本屋に立ち寄る。ここは古い楽譜やレコードなども置いてあって、彼を案内したいと思っていたのだ。はるか君は、ボロボロの讃美歌集、僕はやはりボロボロの紙が黄ばんだ昔の紙芝居を買い求めた。内田百閒の随筆集の懐かしくいい感じの装丁が売られていたので、これも買って、はるか君にプレゼントする。そのあとまた、とぼとぼ歩いて銭湯に着く頃には、すっかり陽が落ちていた。


虚と実

 水島さんから「tempo」第二号が届く。毎号ワンテーマのこのフリー小冊子の今回のテーマは「虚と実」。僕は、短いエッセイと絵を寄せていたが、絵の方は、数年前に制作した立体作品を写真家の白石ちえこさんに撮影していただいた。「ぞうきんがけ」という彼女が用いる古風なプリントの技法で。予想以上に面白い絵ができあがった。
 この原稿の依頼があってから、僕はずっと絵の実在とは何かという難しいことを考えては、ため息ばかりついていた。その間、いつどこで聞いたかも知れぬ「しょせん、絵に描いた餅」などという、絵に対して俗っぽく否定する声がなぜか頭のなかに流れて、そういうものを描く仕事に就いている自分のことを淋しく思うこともあった。
 この冊子の冒頭にある医師の稲葉俊郎さんの身体と心の関係の話は面白かった。人間の心は、昔は性器にあると考えられていて、その後、腹、心臓、と移っていき、現在は脳にある。しかし、実際に心は脳にあるわけではなく、東洋の身体観に照らすと、頭から足先まで、内臓も含めたすべての体の働きが「心」なのだという。話のなかで、岡本太郎の太陽の塔の背中に顔がある理由も書かれていたが、これも実に興味深い話であった。


夢の絵

 久しぶりに夢に絵が登場した。絵は二枚。僕は、夢のなかで、その形や色、マチエールなどしばらく見ていたが、いつものようにそっと布団から抜け出して、その記憶が壊れないうちにスケッチすることにした。しかし、あまりに寒かったので珈琲を淹れようとやかんで湯を沸かしているうちに、そのうちの一点がどこかへ消え去ってしまう。土のようなマチエールのうえに、色鮮やかなフォルムが微妙に形を変えながらうごめいていた。
(2月22日月曜日)

月金帳 66 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?