第196回往復書簡 Message in a bottle,6時
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
夜のうちに、メールが届いていた。
いそがしい仕事を終えて、スマートフォンで、ことばをえらび、長いメッセージをつづってくださった。
いただいたメールには、歳月と悲しみと深い傷、つづりながら涙を流されたのではないかと、ひりひりと心身が痛んだのではないかと、読み進めて過呼吸になりそうになるほどの、そのひとすべてがあった。生きるとは、ほんとうにたいへんなこと。そして、壮絶な歩みのなか、ふしぎなことに、そのかたのことばは、感謝と光に満ちている。いのちそのものの、生命力、うつくしいすがただった。
泣きながら読んだというのに、みじかいお礼の返信をした。
相対する用意も、ことばも、経験もなく、のれんに腕押しと思われてもしかたのないことだった。
この3年あまり、なんにでも怖がるようになった。たくさんのかたがたに、ご心配と励ましをいただいて、おなじように、お返しすることばが見つからない。
お手紙、メールのひとこと、そのかたが届けてくださった思いと時間を、胸のなかのガラス瓶にしまって、きょうまで生きてこられた。そして、けさ、その瓶は、もういっぱいになっていることに、やっと気づいた。
いただいてばっかりだった。それは、もうおしまいにしたい。
けさは、このメールのためだけに、胸うちに瓶を用意した。しずかにたたんで、しっかりふたをした。
だれにでも、どんな生きものにも、深いかなしみ、秘密はある。生涯消えることはないかもしれない。だれもがきっと、それぞれの胸のなかの瓶にしのばせ、なるべく笑って生きている。
あたらしい瓶は、いとおしい。はかなく、こわれやすく、とても澄んでいる。
いつか、ふたりで、旅にでたら、海にいく。
そうして、いっしょに瓶を海へと送る。見しらぬだれかにとどいて、そのひとが、そのひとすべてで生きられますようにと祈る。
ほんとうに、ありがとう。
胸うちに瓶を抱いて処暑のけさ 金町
(9月22日金曜日)
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