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第73回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

新芽

 庭のエノキが、ハンカチのような若葉を春風に揺らしながら少しずつ大きくしている。その隣にヒメシャラの木があって、こちらはカシューナッツのような淡くくすんだ黄緑色の若葉を小枝に並べている。日本名で「夏つばき」というこの木はもともと高原に生えるものらしく、初夏になると白い花をいっぱいに咲かせる。冬のあいだ枝だけになっていた木に、約束事のように新芽が出てくるのは不思議だなと思う。朝、窓を開けるとどちらの木も「もっと見ていてくれ」と言っているようだったので、しばらくずっと眺めていた。そして、「かわいいね、おまえたち」と三回ばかり声をかけてやる。大きい木のくせに、新芽のときは赤ん坊のようだ。

銀座

 美術同人誌「四月と十月」のグループ展の搬入のために一年ぶりに銀座へ行く。まだコロナの感染が落ち着いていないので本当は行きたくなかったが、この本の発行人であるからそうもいかない。消毒液、うがい薬をカバンにつめ、マスクをして出かけた。二十三名という大人数での展示ははじめてで、それぞれ個性の異なる作品をどう並べたらよいか、画廊でずいぶん頭を悩ませたが、まずまずいい感じになったと思う。約二週間の展示は今日から後半。
 人出がないのでどうだろうと心配していたが、これまで絵が十点も売れた。同人誌の最新号も残りわずかとなったので、昨日、補充しにふたたび銀座へ行く。通りも店も静かなもので、青い空の下でビルたちがのんびり昼寝でもしているようであった。画廊当番の浜中さんと、弁当に持っていったおにぎりを食べながら、しばらくとりとめのない話をする。そのあと、ずいぶん久しぶりに銀座をぶらぶら歩いて、信濃屋でウィスキーのつまみにグリーン豆と塩豆、ウエストでダークフルーツケーキを土産に買って帰った。

午前六時半の男

 早朝、アトリエでぼんやりコーヒーを飲んでいると、家の三軒ほど向こうにある通りを、毎朝決まってブオォォーッ、ブォン、ブォンブォン!と、耳をつんざくような爆音を轟かせながらバイクが走り去っていく。この時間、僕はNHKラジオで「古楽の楽しみ」をつけて、モンテヴェルディなどに静かに耳を傾けている。
「この野郎! どっか、海の彼方の無人島へでも行って、ぐるぐる走ってくたばりやがれ」
 その爆音を聞くたびに同じセリフをつぶやくのだが、あるとき、まるで時報のように、毎朝六時半きっかりに走ってくることに気がついた。それで、いろいろ想像をめぐらせる。
 男は、仕事に出かけているのだろう。この時刻に出かけているのであれば、朝五時には起きなければならないから、まじめに生活している奴にちがいない。朝めしは、何を食ったのか。食パンとジャムか。いや、家族がいて、アサリの味噌汁に自家製の糠漬けなんかかき込んだか。一体何の仕事をしているのだろう。まちがいなく、俺のように世のなかからあぶれた画家などではない。きっと、勤務時間を守らなければならないところにきっちり通っているのだろう。黒い革ジャンを着ているのか。この早朝のひと走りは、奴の毎朝の楽しみであり、これから働くぞという気合なのかもしれない。
 そんなことを思っているうち、いつしか僕は六時半前になると、その男が走ってくるのを待つようになった。そして爆音が轟くと、「おい、今日も頑張れよ」と思うようになった。しかし、待てよ。奴は男ではなく、女かもしれない。一度、どんな奴か確かめに行ってみようか。そんなことを思いながらも、まだ行っていない。行って、もし僕が、毎朝奴に向かって手を振るようになったら、そいつはどう思うだろうか。

長いイワシ

 変な夢を見た。盛岡の住宅地を歩いていて、道路に、二匹の巨大なイワシが横たえられているのを見つけたのだ。細長いハモのようにも見えたが、あきらかに顔がイワシなのである。十メートルほどの長さで、しっぽはむこうの家の方まである。隣にいた地元の漁業関係者の話によると、昔から三陸海岸の沖でよく獲れるイワシらしく、もっと大きいものもいるのだという。人を襲うことはないのかとたずねてみると、それは絶対にないらしい。僕は、ひとまずこの巨大なイワシを買ってみることにして、一体、どうやって焼こうかと考えていた。そして、焚火をして大きなフライパンにのせ、ピカタのような料理をつくることにしたのだが、なぜかこんなにも魚が大きいのに、卵はひとつしか手元にないのだった。それで、卵が足りないことを心配しながら、ちょびちょびまわしがけた。


餡ことバター

 近所の小さなスーパーに餡こを買いに行ったが、このスーパーで買うのははじめてで、見当たらなかった。感染防止ビニールごしに、マスクをして黙々とレジを打つおばさんがいるのだが、僕はこの女性から「ありがとうございます。またお越しください」という言葉以外をかけられたことがない。笑っている顔も見たこともない。コロナになってからは、小さなスーパーから人の話し声が消え、このおばさんも感染を恐れてますます無口になったように感じていた。
 餡こはあるかと尋ねると、わざわざ売り場の棚へ取りに行き、持ってきてくれる。僕は、なんだかその親切さがうれしかった。それで彼女に言ってみた。
「あのう、食パンを焼いてね、バターと餡こをぬって、餡トーストを作ろうと思っているんですよ。苦いコーヒーにとても合うしね、うまいんですよ」
 すると、おばさんの顔がマスク越しにみるみる輝いてきて、はじめて笑った。きっと食いしん坊なのだ。
「あなたも、もうレジを打つのをやめて、お家で餡トーストを食べてはどうですか」
 そう言うと、おばさんは、うほっほっほっと、レジに並んだ人たちがびっくりするほど、ますます大きな声で笑った。僕は、そのときふと、こう思った。たいがいのストレスは、餡ことバターで消せるのかもしれない、と。

(4月12日月曜日)

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「旅館の庭」F4号 2011‐2021年 アクリル画

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