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第201回往復書簡 上野

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 先週は一週間、上野ですごした。燕湯で朝風呂に入り、弁天様にお参りして、不忍池に画架を立て、日暮れたらのんでまわった。上京四十周年の記念旅行。酔っぱらって、スカイツリーの方角が隅田川だと、暗い夜道を浅草、浅草橋まで歩くこともおぼえた。そういえば、偶然たどりついた東作をのぞいているうちに、どうしても欲しくなってへら竿を買い、それをかついで歩いた。
 国立西洋美術館のキュビズム展は、とてもよくまとめられた展示だった。恥ずかしながらいまごろになって、この絵画の革命の全容を知る。セザンヌが死んだのは一九〇六年。翌年大回顧展があり、ピカソが「アビニョンの娘たち」を発表する。すさまじい早さだ。その三年後、彼が敬愛した老画家アンリ・ルソーが死ぬ。ピカソとブラックによって進められ、その影響を受けた若きサロンのキュビストたちの作品は、いかにも二番煎じだったが、その潮流のなかに、敬愛するジャック・ビヨンもマルセル・デュシャンもソニア・ドローネもブランクーシもいた。東の果てのにわか文明国の美術学校を出て、なにも知らぬ間にキュビズムの影響を受け、これが芸術だなどと思いこんでいた僕などは、三番、いや、もっとひどい、四番か五番の出がらし田舎画家である。そんなことを思いながらガード下のもつ焼きの煙に燻されてのんでいた。しかたがない。そんなものである。
  (10月31日 火曜日)

不忍池 2023年10月24日 アクリル

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