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第153回往復書簡 お湯割り

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 一昨日、都立美術館に岡本太郎を見に行く。
 館内は撮影してもよいとのこと。これは芸術を床の間だったか、どこだったか、とにかく上の方の権威からひきづり降ろして民衆に解放するという岡本太郎の思想を継承しているのだろう。昨日は撮ってきた写真を印刷して綴じるのに半日かかった。戦後、彼が体をはって日本に持ってきたフランス近代芸術の哲学の土壌に、僕らは何を育てて行けばよいのだろう。
 七輪に炭をおこして湯を沸かし、顔グラスで湯割りをつくって飲む。お湯を注ぐたび「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」という声がする。昔伊豆の民宿で分けてもらった分厚くて大きなこのグラスは、焼酎のお湯割りにとても都合がよく、寒い季節になると晩酌で活躍する。夜更けに酔っぱらっていると、裸電球の暗い天井を太郎さんがぐるぐるとびまわって、「芸術は、いやったらしくならなければならない」だとか「進歩も調和もない。人間はちっとも進歩なんかしていないんだ」「ピカソの手は柔らかかった」などと、いろいろ語りかけてくる。昨晩はすっかり酔って、焼酎の後ウイスキーの瓶に手を伸ばし、朦朧として庭に目をやっていたのであるが、庭の闇のなかに、パリの街の片隅で孤独に葛藤する若き岡本太郎が現れてきた。僕の隣には敏子さんがいて、「太郎さんってね、本当に素敵な方なのよ」ほっほっほっと呑気に笑っている。
「わかりませんが、ただ愚直に、描いていくことにします」
 二人に向かって、なにやら誓いのようなことをつぶやいて、そろそろと布団に潜り込んだのです。
 千さん、美術館のあと、久しぶりに燕湯へ行きましたよ。            (10月31日月曜日)

雲のうえ36号表紙ラフスケッチ「青い海、工場群、街の人々」2020年10月16日

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