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第63回往復書簡 へんてこバレンタイン①

石田千 → 牧野伊三夫さんへ

 お昼をすませて、マスク、戸締り、火の用心。ドアをあけると、豆がふた粒落ちていた。
 おそらく、おとなりの坊やがまいた。ことしは、きのう2日が節分、3日のきょうが立春。そんなの、生まれてはじめてです。メールをすると、124年ぶりです。めずらしく、体温以外の返事がきていた。
 へんてこなことが起きるときは、暦にも影響があるのか、その反対なのか。そうして、もうどれくらい会ってないのかなあ。でっかいごみ袋をさげて、階段をおりていく。
 去年。春さきの晩。交番のまえで待ちあわせて、韓国料理の店で、おいしいチヂミを食べた。お花見はできないねといったのだから、もうすぐ1年になる。
 大ちゃんは、おととし転職して、宅配便のドライバーをしている。じぶんのお店をはじめる資金を、2年間がっつり働いて貯める計画だった。そうしたら、こんなことになって、開店計画は延期になっている。そのぶん、開店資金は貯まるから。チヂミを食べながらいっていたけど、さらにもう1年、会えないかもしれないと思うと、さびしい。かなしい。
 薬ができて落ちつくまで、会わずにいよう。大ちゃんは、マッコリで酔うまえに、いった。宅配便は、不特定のひとに会うから。よっちゃんは、喘息もちだから、万が一があったらいけない。
 そうだね、そうしましょう。ありがとう。そう返事した。そのときは、まさかこんなに長くなるとは思わなかった。
 おたがい、じぶんを撮影するのは照れくさいから、顔も見ていない。
 宅配の仕事は、激務に激務がかさなっているから、オンラインで話すなら、寝てほしい。毎朝の体温をはかるから、それを送りあい、無事を確かめている。
 ふたりで一緒にいられた楽しみは、みんな消えた。お花見、大玉すいか割り、代々木公園に金木犀の大木を見にいく。それぞれの、誕生日。クリスマス。初詣。そして、豆まき。毎年、恵方巻をかじって、お面をかぶって、豆をバラバラぶつけてもらっていたのに。行事をかぞえると、泣きたくなって、立春大吉の空を見あげる。曇っている。
 駅前のスーパーマーケットに入ると、そういえば、ここは、毎年の赤鬼のお面を配らなかった。感染予防だったのかもしれない。
 きのうは、豆まきもしないで、恵方巻も食べず、柿ピーをかじって終わった。お店には、チョコレートがたくさんならんでいる。どうしようかな、バレンタイン。
 大ちゃんは、甘党なのに、チョコレートは苦手で、いつも非常食になるからと板チョコ2、3枚に、ちいさい贈りものを添えて渡していた。送っても、うまく受け取れないだろうし、不要不急の荷物は、出さないほうがいい。板チョコをながめたけど、手にとらなかった。
 会えなくなったのは、大ちゃんだけじゃない。
 母とは、去年のお正月がさいごだから、もう1年より長くなった。
 さいわい実家のほうは、感染がひろがらず、無事にいてくれる。母とは、毎日電話をして、ときどき大輔さん元気とか、どうしてると聞かれて、会っていないけど無事みたいと伝える。
 買いものから帰って、大丈夫とかけてみたら、やっぱり大輔さん、感染がひろがってるから心配といったので、今朝の体温は平熱だったよ、きっと大丈夫だよといった。
 ……さびしいだろうけど、それだけ大事に思ってくれてるんだから、大輔さんの無事を祈って、しっかり暮らしなさいよ。
 それをきいて、戦争みたい。ためいきをつくと、母も、そうだね、おばあちゃんも、そういう気もちだったのかもね。母娘で、しんみりしてしまった。おじいちゃんは、戦争で南の島にいった。そして、かえってこなかった。
 でもねえ、戦争のころよりは、まだいいよ。母がきっぱりいった。
 食べるものがあるし、男のひとがきゅうに連れていかれることもないんだから。
 じゃあね、また明日、おたがい気をつけましょう。
 電話を切ると、6時のニュース。きょうも、はじめに感染者の数を伝える。まさか、お母さんと恋バナするようになるとは、思わなかった。
 つづく。(2月5日金曜日) 
 

千さん 挿絵 ヘンテコバレンタイン1


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