第124回往復書簡 卯月、8時35分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
朝ごはんのとき、麻丘めぐみさんの歌が流れた。つぶらな瞳と、かぐや姫のような黒髪。あのころの少女漫画には、麻丘さんそっくりの女の子がたくさんいた。
わたしのわたしの兄は、左きき。
左きき生まれの兄は、えんぴつとお箸はみぎで持つ。おばあさんが直したと母がいっていた。左ききなら、サウスポーになるぞ。野球をしていた父は、兄としきりにキャッチボールをしたけど、球をこわがってだめだったといっていた。
おとなしく、器用で、すなおな兄は、きっと苦労して、おばあさんの期待にこたえ、なおした。
その5年のちに生れた妹は、なんでもみぎ手で持つけれど、がんこで不器用。えんぴつのもちかたが、ちがうよ。なんどおばあさんにいわれてもなおさず、そのまま、こんにちにいる。
左ききを、みぎききにする。そんなしつけをするのは、日本だけのことなのかな。中学のころ、テレビでみた映画のなかに、大学の授業の場面があった。
ノートをとる学生たちがうつったとき、左でペンをもつひとがたくさんいて、びっくりした。
中学から高校、大学と進んでも、教室のなかの左ききのひとはすくなかった。教育実習にもいって、中学生高校生のようすもみたけど、かわらなかった。
大学を出て20余年もたって、ご縁をいただいて、教壇に立つ機会をいただいた初日、まっさきに思ったのは、学生時代よりもあきらかに左ききが多くなっていて、よかった。
世のなかのさまざまのものは、みぎ手に便利になっているから、左ききのかたは、苦労が多いときいた。
それから、ビートルズが流れた。左ききのポールは、やっぱり特別な存在。兄も、ギターをひいていたけど、高校からはキーボードに熱中するようになって、ギターをどっちにかまえていたか、覚えていない。よくブラック・バードを練習していた。
はちみつトースト、紅茶、目玉焼きとピーマンのソテー、キーウィフルーツ、オレンジマーマレードをまぜたヨーグルト。さいごに薬を5錠半。
みんな食べてしまって、カレンダーを見あげる。
4月うまれのお誕生日を、書きこんである。
ひとり、左ききの友がいる。
無事に、忙しくしているかな。万年筆を握るちいさな手。
幸せな一年になりますように。お誕生日おめでとう。
えんぴつの持ちようなおさず卯月かな 金町
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