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第46回往復書簡 もくせい、7時半

石田千 → 牧野伊三夫さんへ

 いちじくの実のりをさがしながら町を歩いてみたら、きんもくせいの香りに気をとられて、みつからない。
 生のいちじくは、社会人になって、はじめて食べた。そのまま食べられると、知らなかった。実家のほうは、いちじくといえば、甘露煮。しょうゆとおさとうで、照りよく煮て、瓶詰にして保存する。かしこまった割烹のお店だった。デザートに練りごまだれを添えたいちじくが出て、このまま食べて大丈夫なんですかとおどろき、その場のみなさまにおどろかれた。
 いちじくあれこれをめぐらせて、去年までいた町まで、50分歩いた。朝いちばんの行きさきは、病院。このところ、目に不調が出て、ほうっておけなくなった。半年ぶりの対面の会話は、お医者さんになって、申し訳ない。
 検査は、昼までかかった。院内で働く方がた、患者さん。緊張の世に生きるひとは、みなうつくしい。
 ハイジのおじいさんは、娘が亡くなって信仰を捨てていた。そうして、娘の産んだハイジと暮らすようになって、ふたたび山を下りて教会にいく。いるうち、そのこころもちを思った。
 さいわい、目に以上はなく、頭痛もするので脳神経科を紹介していただいた。
 おびえて、ずっと閉じこもっていたので、神さまが荒療治してくださったと、観念した。
 母にいおうか、迷った。心配をかけたくないと思ったけど、ひとりで抱えきれず伝えると、
 さきざき考えるな。いまは、出たとこ勝負だといわれた。辰の女は、たのもしいなあ。
 そうして、牧野さんの広い懐にも甘えて、お伝えすることにした。
 いま、目のまえには、牧野さんの聖橋の水彩画がかかっている。
 ようすが落ちついたら、聖橋まで遠足したい。トンネルを行き来する丸ノ内線を、見にいこう。

  木犀や渦中のひとの背をなぜる  金町

  (10月2日)

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