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第64回往復書簡 ちらし寿司

牧野伊三夫 → 石田千さんへ
 
 郷里の北九州市で発行する「雲のうえ」という情報誌を作るようになって、今年で十五年になる。千さんにも市の劇場や酒場の特集などで何度か原稿をお願いしたことがあった。年に二冊、毎号、一週間ほど帰郷して、編集委員やカメラマンなどのスタッフたちと取材をして制作している。しかし、昨年の春からかなわず、今年度はこれまで市役所に届いた八千通あまりの読者葉書を編集した特別号をつくることになった。昨年の夏から編集委員の有山達也君、大谷道子さんと僕の三人の仕事場に読者葉書を詰めた段ボール箱を順に回してすべてに目を通し、段階的に絞り込んだものを分類して原稿にまとめていく作業を行っていた。葉書に印刷してある罫線の間にさらに定規で線を引き、小さな文字でびっしり書かれたもの、だんだん字が小さくなって、しまいに書ききれなくなって表面の住所欄まではみ出したものなどあって、読むだけで大変であったが、この中から誌面に載せるものを選ぶのは、さらに大変だった。五百通ほどに絞り込んだところで原稿に起こすことにしたのだが、担当者にその葉書を送ると、一枚一枚しっかり書いてあるのを見て悲鳴をあげていた。最終的に二百通ほどの掲載となり、読みやすくするためにテーマごとに分けて原稿を整え、さらに編集委員側からのコメントを入れる作業を大谷さんが担当したのだが、彼女もまた、どうまとめていくかと悲鳴をあげていた。遅れに遅れて、先月なかばにようやくそこまでが終わり、今月からいよいよレイアウトや挿絵にとりかかっている。冒頭は、岩手県から届いた「コロナ騒ぎで『雲のうえ』のことを忘れていました」という内容の葉書を紹介する予定だ。身内をほめるのもどうかと思うが、大谷さんの編集のあざやかさには、本当にいつも驚かされる。三月末には刊行の予定で、葉書を掲載した方には、全員に北九州市の銘菓を集めた箱詰めを届けることになっている。
 この号の表紙は木版画でやることになって、僕は先週から下絵を元に彫りはじめたが、彫り損じの許されない文字などもあって、なかなか思うようにすすまない。タイトルのほかに市役所からのメッセージとして、「手洗い マスク 北九州市」という言葉を入れるのだが、筆で書けば十秒ほどで終わる「手洗い」という文字を木の板に彫刻刀で彫ると五時間かかった。面白半分に計算してみると千八百倍の時間である。さらに、ローラーで版にインクをのせて、あらかじめ湿らせておいた紙にバレンでこすって刷り、一晩乾かすことを考えると、まったく木版画というのは手間がかかるなと思う。「手洗い」と「マスク」は木に彫るとよく伝わるのか。面白くてやめられないのだから、そんなことはどうだっていい。きっと伝わるにちがいないと信じて、もう二十時間近く彫り続けている。コーヒーを飲むのに一服しているとき、セーターの腕のところに彫刻刀で削ってできた木屑がまるくなっていくつもついているのに気づき、指でつまみとる。ゴミ箱に捨てる前にその偶然できた面白い造形をしばらく眺め、彫りあがる版よりも、この木屑の方を美しいと思ったりもする。
 そんなふうに木屑まみれになってすごしていた先週土曜日、朝日新聞の書評で自著が紹介された。一週間ほど前に版元の本の雑誌社の編集担当者の高野夏奈さんから書評に出ると連絡を受けていたが、新聞の見開きのどの部分に載るのか、だれが評するのかは版元へも知らされず、当日までわからないと言っていた。全国誌の書評欄に自著が載った経験はなく、本の内容も日々の日記のような地味なものなので、どこか隅の方で書影もなく、文中に『』付きで挿入される程度であろうと、さして期待もしていなかった。
 ところが当日の朝六時すぎ、高野さんから書影入りで大きく紹介されていると連絡がある。信じられない。なんだか朝っぱらから急に血のめぐりがよくなるように感じた。僕は、本当だろうかと思いながら、家の近所のコンビニエンスストアへ朝刊を買いに行く。サンダルをひっかけて家を出ようとして、「落ち着け」と自分に言い聞かせ、ひも靴に履き替えた。玄関で足がもつれそうになりながらドアを開け、喜び勇んで早足で向かった。「喜び勇む」などというのはずいぶん久しぶりのことで、無邪気にはしゃいでいた幼い頃の記憶が蘇ってくるようで、こういう気分はなんだか懐かしくもあった。
 店に到着するなり、僕は迷わず入り口近くの柵から朝日新聞をぬきとった。その場でせわしく開いてみると、見慣れた書評欄の中央に、たしかに書影入りで大きく掲載されている。ここは読む場所であって、自分などが出るところではない。選者は、押切もえさん。これは事件だと大きく息をして目をあげると、レジに立つ褐色の肌の青年が、けげんそうにこちらを見ている。金を払うのが先だ。僕は新聞を開いたままレジまで行き、書評欄を指さし、「ほら、ここ。僕の本が紹介されてるんですよ」とその男に弁解するような、自慢するような気持ちで言ったのだが、不審な客だと思ったのであろう。後ずさりする。それは、そうだ。とっさに男の胸の名札を見て、「ヒサン君は、どこの出身ですか」とたずねると、「ネパールです」と答えた。「いい国だね。ヒマラヤがあるし、カレーもうまいな」と、僕はヒマラヤ山脈を見上げるような手ぶりをしてみせる。するとヒサン君は、とたんにこわばった表情をゆるめて、笑いながらレジを打ち始めた。そうして僕があらためてもう一度、「ほら、これね、僕の本が載っているんだ」と彼に伝えると、首を曲げて紙面をのぞき込み、今度読みますと言ってくれた。お世辞でもうれしかった。ここで握手、といきたいところだが、時節柄、我慢して別れる。実は、僕はコンビニエンスストアでおとなしく働いている外国人に声をかけるのが趣味なのだ。せっかく日本までやってきて店で働いているのだから、ちょっと外国なまりの日本語で「毎度どうも」などと元気に笑ってほしいのだ。それはともかく、僕はなぜか朝日新聞を五部も買っていた。
 家で買って来た新聞を読むと、選者の押切もえさんが余すところなく僕の書いたことを読み取って下さっていることに驚いた。僕はうれしくて思わず妻の前で朗読をした。今夜は、お祝いだ。赤飯を炊こうか。それよりもちらし寿司が食いたい。家でよくつくる、僕のばあちゃんのレシピがあるのだ。いつもは甘く煮た油揚げと竹輪などの具材で間に合わせて作っているのだが、こんなめでたい日は、そうそうない。ひとつ豪勢にいこうとなり、イクラとエビ、マグロなんかを買いにスーパーへ自転車を走らせた。晩御飯を食べながら、もう一度妻に押切さんの文章を朗読してもらうつもりだったが、いつもは食卓にのぼらない高級な魚介をつまみ、調子づいてコップ酒を飲むうちにすっかり酔っぱらい、いつしか眠ってしまった。
 まったく、書評に取り上げてもらうことが、こんなにうれしいものだとは知らなかった。おすそ分けに、我が家のちらし寿司の作り方を書いておこう。

ちらし寿司

◎すしご飯
材料/
 お米4合、昆布5センチ角、合わせ酢(酢大6、黒糖大4、塩小2弱)
 お米は洗って昆布をしのばせ、一時間ほど浸水させて炊飯器で炊く。炊き上がる前に合わせ酢の調味料をボウルに入れ、よくかき混ぜておく。炊き上がったら、すぐにご飯を鮨桶に移し、二回くらいに分けて合わせ酢を入れ、しゃもじで切るように混ぜる。団扇であおいで冷ましながら混ぜると照りが出る。混ぜ終えたら、濡れ布巾をかぶせて人肌に冷ます。

◎具材
●酢れんこん
 れんこん一ふし、調味料(水大3、黒糖大1、塩小1/4、酢大1と1/3)
 れんこんは皮をむき、2ミリの薄さの輪切りにし、1分程さっと熱湯でゆでる。水、黒糖、酢、塩を鍋に入れて火にかけ、黒糖がとけたら茹でた蓮根を入れて1分煮る。汁ごと浅いお皿に移して冷ます。冷めたら汁気をきって粗くきざむ。
●かんぴょう
 かんぴょう20グラム、調味料(かつお出汁1/2カップ、黒糖大2、醤油小2)
 かんぴょうは五分ほど水で戻したあと塩をふってもみ洗いし、五分程度茹でる。かつお出汁、黒糖、醤油、を火にかけて、黒糖がなじんだらかんぴょうを入れ、少し硬さが残るくらいに5分程度煮る。冷めたら5ミリくらいに切っておく。
●きつね
 油揚げ3枚、調味料(水1カップ、黒糖大2、醤油大1、みりん小1)
 油揚げを熱湯で油抜きする。水、黒糖、醤油、みりんを鍋に入れて沸騰させ、黒糖がとけたら汁けがほぼなくなるくらいまで落し蓋をして煮切る。途中で味をみて、醤油か黒糖を足す。うちでは、かなり田舎風に甘く煮付ける。煮切ったら、冷まして小さく刻む。
●しいたけ
 干ししいたけ4枚、調味料(椎茸の戻し汁1/2カップ、黒糖大2、醤油大2)
 干し椎茸を1カップの水で戻し、いしづきをとる。しいたけの戻し汁、黒糖、醤油を鍋に入れ、沸騰したら椎茸を入れ、やわらかくなるまで二~三十分煮る。冷めたら薄切りにしておく。
●錦糸卵
 卵2個、サラダ油少々
 卵をとき、フライパンに薄く油を敷いて、卵を少量(1/4程度)流し入れる。火は中火。フライパンを回し、まんべんなく薄くのばす。表面が乾いたら、お皿にとって冷まし、細切りにする。
●きぬさや
 きぬさや30グラム
 きぬさやは筋を取り、熱湯に塩をひとつまみ入れ、サッと湯通しする。お皿にとり、冷ます。
●酢魚
 鰆50グラム、調味料(酢大1、塩少々、砂糖小1、みりん小1)
 鰆を斜めに切り、塩をして一晩冷蔵庫に入れておく。翌日とり出して、砂糖、みりん、酢を合わせた汁に漬け、また一晩おく。

 仕上げに、汁気をきって小さく切ったれんこん、しいたけ、かんぴょう、きつねを木のしゃもじで手早く均一に酢飯に混ぜる。器に鮨ごはんがかたまりにならないようにふんわりと盛り付けたら、錦糸卵、きぬさや、酢魚をのせる。最後に山椒の葉や三つ葉、それかカイワレ大根、菜の花などの青物、しょうがの甘酢漬けを彩りよく盛り付けて完成。うちでは酢魚のかわりに、ちくわの薄輪切りを入れたお精進風のちらし寿司をよく作る。これだけでもおいしいが、ほかにも、エビ、イカ、鰻のたれ焼き、マグロ、イクラなど、好みの魚介を自由に加えるとご馳走らしさが高まっていく。

(2月10日水曜日)

月金帳64挿し絵 雲のうえ33表紙版画


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