見出し画像

第45回往復書簡 収穫の日

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

 庭のいちじくを収穫する。枝にならんでついていた小さな実に、一か月ばかり前に台所で使う白い不織布をかけておいたのだが、数日前から一番下の実がうっすらと赤らんでいるのが気になっていた。そろそろかなと近寄って見てみると、熟れすぎて腐りかけ、蟻が何匹もたかっていたので手でもぎとって捨てる。下から二番目のは、黄緑色の健康そうな肌がかすかに赤みをおびていて、まさに食べごろだった。さらに下から三番目と四番目のも、まだ青々してはいるがお尻のところが赤紫色に染まっていたので全部で三つ収穫する。そのなかの形のいいのをひとつ小皿にのせて、神棚にあげて家の神様に収穫の報告をする。神棚は今年の春に九州の日田の製材所から送ってもらった杉板を切って自分でこしらえたものだ。天照大明神のほかに、国分寺の八幡神社さまと熊野神社さま、中野の北野天満宮さま、小倉の若宮神社さま、それに浅草の観音様のお札をあげている。大所帯なので小さな実がひとつでは食べたりないかもしれない。そのおさがりを皮をむいてナイフで切り分け午後のおやつにいただく。夜のいやな外灯の光を大きな葉でさえぎってくれて、おやつまで。世話になりっぱなしだなと庭のいちじくの木に礼をいう。
 ずいぶん昔にあかね書房の榎君と約束していた絵本の仕事にとりかかる。僕は四、五年前の約束かと思っていたのだが、榎君によると八年も前だったらしい。今度こそ描くから飲みながら話そうと誘っては酒を飲むばかりで、いっこうに絵本の話にはならなかった。京都や九州まで来てくれたこともあったが、やはり絵本の話は出ず飲んでばかりいた。日がたつのは早いな。そして今年の春に、酒の席で彼から「もうあきらめています。一緒に飲むだけでいいんです」と言われてようやく尻に火がついた。今年の九月までにラフを描くことになったが、実は僕はアトリエの片隅に小箱を置いて、そこにときどき思いついた話や場面を書き留めたのをしまっていたのである。あとはまとめるだけでよいとたかをくくっていた。ところが、それらを全部取り出して見直すと、なんともくだらないものばかりで、どれも使えず絶望した。それで、あらたな気持ちで一から考え直してようやくラフを完成させることができた。創作絵本は美術大学のとき以来であるから、三十四年ぶりだ。ひとまずラフを渡すことができると、ひと安心して、このところ気候がよくなってきたこともあり、また気がゆるんできた。家でごろごろ昼寝などしてすごしていると、だんだん西の空が赤らんでくる。ずいぶん日が短くなった。早々と酒を飲み始めることになるが、このままではいけない。そろそろまた榎君に連絡をして一緒に燗酒でもやることにしよう。

(9月30日水曜日)

庭のいちじく 月金帳45

絵本エスキ―ス


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?