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第67回往復書簡 へんてこバレンタイン③

石田千 → 牧野伊三夫さんへ

 2月14日、かに座の運勢は、吉凶混乱の一日。思いを伝えるなら、午後からにしましょう。ラッキーカラーは、ゴールド。
 ゴールドの服は、ない。部屋を見まわして、ヘアピン。のばしっぱなしの前髪を、ぱっちん。
 いつもなら、動きだしたら忘れてしまう占いの、吉凶混乱がはなれない。けさにかぎって、大ちゃんからのメールがきていない。
 きのうは、36・8度だった。いつもより0・1度高くて、気になっていた。きっと寝坊して、あわてて出たんだよ。きっと、あとからくるよ。そうだよ、きっと。そう思うたびに、スマホを見てしまう。
 たのしみにしている日曜日のラジオも、ずっとうわの空のまま。気がかりのままだから、なにをするにも、いつもより時間がかかった。ようやく洗濯をすませて、11時半。どうしよう、メールしてみようかな。そうして、また占いが出てくる。思いを伝えるなら、午後だった。お昼休みまで、待ってみよう。
 正午の時報をきくと同時に、インターフォンが鳴る。モニターには、シマネコさん。もしや大ちゃん。駆けよると、いつものお兄さんだった。
 ……すみません、午前着指定なのに、おそくなって。宮島商会さんから、お届け物です。
 ……だいじょうぶです、玄関まえに置いてください。いつも、ありがとうございます。
 きのう出社と伝えてあるんだから、机に置いといてくれればよかったのに。ためいきをつくと、靴音がきこえて、ドアのむこうでとまる。
 ……置きまーす。
 ……ありがとうございまーす。
 つい大声出しちゃて、びっくりする。靴音が消えてからドアをあけると、いつもの書類封筒ではなく、ピンクの紙袋だった。伝票には、宮島商会資材部一同、品名にはお菓子とあった。伝票は、竹下さんの字。わざわざ、買いにいってくれたんだ。
 ゴム手袋にマスクをして、アルコールを吹きつけて、あける。その前後には、厳重に手を洗った。親しいひとからの贈りものを、びくびくあけるのが、かなしい。きれいな包装紙。まえなら、たたんでとっておいた。すぐに捨てるのも、かなしい。
 袋のなかは、会社のそばの和菓子やさんの、詰め合わせだった。リモートになってからは、開店前にもどってくるから、買ったことがなかった。箱をあけると、メッセージカードも入っている。
 みんなで、待っているよ! おおきな字は、鳥羽部長。そのしたに一行ずつ、みんなから。忘れないでね、ワクチンまであとすこし、がんばれ! 毎週画面ごしの笑顔に安心しています。よしみさんは、身体は弱いけどガチ根性ある! そして、後輩の梅ちゃんからは、リモートがうらやましいっていって、ごめんなさい。ちいさな字で書いてあった。そんなの、気にしてなかったのに。思わぬサプライズ、そうして明日は、みなさんにサプライズ。詰め合わせに、大好物のチョコ饅頭がはいっていて、うれしい。さっそく食べた。
 食べ終えたら、また不安がよぎる、このお菓子が吉なら、大ちゃんが凶になるのかも。またスマホを見て、連絡はない。2時まで待つと、決めたんだから、待て。焦りは、ぜんそくの大敵。深呼吸をして、お昼をつくる。
 お湯をわかして、わかめとあぶらげのおうどん。それだけじゃ、栄養がたりないから、冷凍庫からソーセージを出して、キャベツと炒める。母がみたら、へんてこな献立ねといわれる。チョコ饅頭をさきに食べたから、口のなかも、へんてこなまま、うどんをすすった。
 食べ終え、歯を磨き、どんぶりを洗う。それから、晩ごはんの米をといで、温サラダとおみそしるの野菜をきざむ。あとは、お肉を焼いて、お椀をつくればいいようにしておく。
 ようやく流しがさっぱりして、お茶をいれようと、時計を見たら、2時22分になっていた。大ちゃんへの愛が、晩ごはんのしたくに負けたことに衝撃を受けつつ、意を決してスマホを持つ。
 よかったよ、メールがきてる。よかったよ、36・5度だよ。きょうは、添付ファイルもついてるよ。ときどき、お花や木や、おもしろい看板を送ってくれる。
 ファイルをあけると、シマネコ運輸の営業所があらわれた。あれ、動画だと思っていると、マスクにフェイスシールドをかさねた、シマネコさん。たぶん、大ちゃんだ。
 ……よっちゃ~ん、無事にやってますか~。こちらは、なんとかやってるよ~。いまから、去年もらったチョコを、食べるから、見ててね~。けさ、冷凍庫から、だしてきました~。
 ほんとうに、非常食にとっておいたんだ。一年もたってるのに、だいじょうぶなのか。スマホにしがみつく。カメラはズームアップする。
 大ちゃんは、マスクをはずして、わきの机に置いてあるアルコールで手を消毒してから、チョコレートの包装紙をむいて、チョコに触らないようにして、器用に、あっというまに完食して、またマスクをつけた。フェイスシールドごしでも、顔のぜんぶが見られた。
 ……あまいよ~。一年まえは、ありがとう~。会えるようになったら、ことしのもくださ~い。それから、さすがに顔が見たいので、よっちゃんも動画で返事くださ~い。
 食べているほかは、ずっと両手で手を振っている。また、ぽっちゃりしたみたい。大ちゃん、やっぱり、かわいいなあ。
 ……五十嵐先輩、よしみさん愛してますって、いってくださーい。
 カメラマンさんの声が、はさまった。
 ……は~い。よっちゃ~ん、愛してるよ~。それじゃあね~。ありがとうございました~。
 それから、きゅうにいつもの声になった。サンキュ、もう切っていいよ。それで、ぶつっと終わった。
 ……もう切っていいってさあ、なんだかなあ。
 あははと笑って、うわーん、うおーんと泣いた。うれしい、かなしい、さびしい、うれしい、ありがとう。ごめんね。こんなに会えなくて、なんなのよ、くやしいよう。会いたいよう。会いたいよう。会いたいよう。それがぜんぶ、うわーん、うおーんになった。
 泣きくたびれて、鼻をかんだ。それでようやく正気にもどって、手と顔を洗った。鏡をみると、幼稚園のころの顔だった。
 お茶をいれて、詰め合わせをあけて、どら焼きを食べた。それから、スマホを持って、しばし考え、返事した。
 大ちゃん、ありがとう。うれし泣きして、めっちゃブスになったので、明日お返事します。
 送ると、たちまち返事がきた。
 めちゃブス希望、よろしくお願いします。

 (3月5日金曜日)

へんてこバレンタイン 3挿し絵


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