第148回往復書簡 つぶつぶと混沌、9時半
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
おおきなスーパーマーケットで買い出しをした。
いつもどおりの、紅茶にマーマレード、きんつば、栗羊羹、ビスケット、鳴門のわかめ、丹波の黒豆、チーズ。お彼岸なので、父の好きなクッキーも買った。父は、お菓子も食事も、断然洋風だった。
紅茶はアッサムで、茶葉がつぶつぶ。近所では、ここにしかないので、ふた袋買っておく。
長谷川ちえさんにいただいて、つぶつぶのアッサムティーを知った。ちえさんが、まだ東京でお店をされていたころだった。ちえさんは、コーヒーをいれる名手として有名だけど、紅茶にもくわしい。いただいた茶葉には、カモミールの花と、グラニュー糖が配合されていて、ミルクティー用とのことだった。
それはそれは特別の風味だった。そうして、すこしでも近い紅茶がのみたくて、いろいろ探した。こういうとき、とてもしつこくなる。牧野さん、目に浮かぶでしょう。
これにしようと決めて、はじめのうちはカモミールとグラニュー糖をまぜた。
牛乳をのまなくなって淘汰され、アッサムのストレートとなった。春夏秋冬、毎朝のんで、毎朝おいしい。このごろは、ことに、声が出る。けさの紅茶は特別おいしいなあ。毎朝のように、うなっている。どうして、茶葉がつぶつぶなのかしら。ひとつひとつ、手でまるけているのかしら。
牧野さんのお原稿の、現実と妄想、具象と抽象のところ、文章にもおんなじようなところがあるかもしれない。文章を書く仕事をはじめたころは、経験がないから、とにかく出かけて、見たものを書くばかりだった。それでも、そのまんまには書ききれない。それで、だんだん、かたちのないものを書くほうに、逃げこんだ。それはそれで、また手の届かない場所があることを知った。いつも、じぶんに反抗して、ああでもないと書いている。
もがくなかにも、衣食住の日々があり、食べものや旅のことも書く。50をすぎて、なんとなく一巡したのかなと思ったころ、巣ごもり暮らしがはじまった。
ワクチンの接種ができたので、だんだんと世のなかにもどる。来月からは、遠出の仕事も再開する。2年半ぶりの遠出は、こわくてしかたがないし、いまは生まれなおしたようなもので、やりたいことは、まったく浮かばない。それでも、始まってしまえば、また紙をひろげて、字を書いていくので、いまの不安や心配をだいじにしている。不安や心配があっても、紅茶はおいしい。そのことも、だいじに覚えておく。世のなかにもどれて、せわしなくなっても、きっと紅茶はおいしい。
混沌の秋をすすりし紅茶かな 金町
(9月30日金曜日)
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