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第164回往復書簡 新宿踏切、12時55分

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 毎日、ラジオをつけている。字を書いているときだけ消して、あとは寝るまで流れている。
 年があけて、いくつか好きな番組が終わったり、時間が変更になった。毎年、四月になると、もっといろいろ変更になる。
 番組は変わっても、ニュースと天気予報と道路交通情報の時間は、かわらない。内容は、そのたび変わるので、はじまると、皿を洗っていても、おせんべいをかじっていても、しぜんに耳がとがっている。
 朝と夕方は、道路の情報が頻繁に流れてくる。
 いったことのあるところ、知らないところ。なかでも、渋滞の常連の、新宿踏切は、なつかしい。深夜の水戸街道。ぴゅんと景色が見えてくる。
 新宿は、にいじゅくと読む。水戸街道はおおきな道路で、ご存知ないかたは、きっと開かずの踏切と思っている。
 じっさいは、新宿踏切の線路は、工場の荷物の出し入れ専用なので、一日のほとんど、あいている。金町に長く住んで、閉まっているのを見たのは、5回もあったかなあ。
 一時停止、窓を開けて左右確認。ギアを一速にして、ひと息に渡る。教習所で習ったことを、すべての車がおこなうと、渋滞が発生する。新宿踏切ときくたび、算数のテスト問題が作れそうと思う。
 都心で遊んで、終電をのがしてしまうと、タクシーで金町まで帰る。遊んだお金より、車代はずっとかかった。
 首都高速に乗って、四つ木出口でおりて、水戸街道にはいると、だんだんと、のろのろ運転になる。金町駅前まで裏道はなく、どうしても新宿踏切を渡ることになり、だいたい一時間はかかった。
 眠らないように、ラジオをつけてくださいとお願いして、景色を眺める。話じょうずの運転手さんのときは、たのしかった。ユニークなかたも、たくさんいらした。
 そののち、10年がかりで中川と荒川をわたり、さらに5年がかりで墨田川を越え、川原も踏切もない町にいた。そうしたらみょうにまじめになって、終電どころか、早寝早起き人間になった。
それから、また越して、いまは、ねぼすけ早寝のなまけものになった。巣ごもりになっていらいタクシーには乗っていない。

  新宿の踏切渡って冬の星   金町
  (1月20日金曜日)

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