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第194回往復書簡 やさしいけんか、8時

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 東京にもどりました。羽田空港は、帰省の大混雑でしたが、自宅にもどるまでの、モノレールも電車もみんなすいていた。そうして、もより駅の改札を出たら、びっくりするほど閑散としていた。
 巣ごもりいらい、東京でのお盆。4年、お墓参りをしていない。実家の仏壇を、あやまりながら掃除してもどってきた。
 実家での4日のあいだ、そとに出たのは、洗たくものを干すときだけだった。
 買いものも、外食も、腰がひけて、かなわなかった。八十路の親に、重たい買いものをさせて、なんという馬鹿もの。留守番をしながら、泣いた。
 食事はすべて、母が作ってくれた。あまりに申し訳ないから、すこしでも役にたちたい、家のなかで動けるだけ動きたい。掃除と洗たく、納戸のかたづけ、換気扇を洗い、エアコンや掃除機のフィルター交換。夏は、蜂がいるから、庭仕事はできない。
 そんなふうにやっていたら、3日めの朝いちばんに、母にいわれた。
 ……手をいたわることを、考えなさい。あなたが我を通すから、ぼろぼろになって。いちばん大切な手でしょう。かわいそうだ。
 娘としては、手がぼろぼろなんて、いつものこと。寝るときに、薬をすりこみ、あやまり、手袋をしてしのいできたけれど、親としては、見ていられない手だった。
 ぼろぼろでも、ひとつでも、なにかして帰りたい。反論は、じっさいの手を見れば、あきらかに弱かった。
 それから帰るまで、動きすぎると、手を休めれととめられる。ありがとう。声にしても、笑顔ではいわなかった。
 ふたりとも、相手を思って、けんかになる。ありがたい、けんかだった。東京にもどってくれば、すなおになれるのに、甘えているんだなあ。
 朝のドラマの主人公は、植物学者のマキノさん。筆をもち、草花を丹念に描かれる場面をみるたび、牧野さんもいまごろ、作品に取り組まれているかなと思った。ドラマが終わって、高校野球がはじまると、アリヤマさんに似ている投手がいた。応援していたけど、負けてしまった。
 夕方まで野球、夜になるとクイズや旅の番組。母はテレビが好きで、一日じゅうつけているから、部屋にもどって、ラジオだけになったら、とてもさびしい。もどったとたんに、ホームシック。
 こんな気もちになることは、いままでなかった。
 
  仏前の桃にきかれし口げんか     金町
  (9月1日金曜日)

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