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第125回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

  丸太のセリ

 広報誌「飛騨」の取材で今月4日から飛騨高山へ行く。
 六日、少し早起きをして、旅館で絵を描いた。自分で描いておきながら、一体何を描いたのかわからない。そのあと、地元の家具デザイナーに案内してもらって、はじめて木材のセリというものを見学に行った。
 山の上の広大な敷地にブナやナラ、ホウ、ヤマザクラなどの丸太が並べられ、すでに製材業者、住宅メーカー、家具工房などの人がやってきて、出品目録を手に持ち、丸太の間を歩いて品定めをしている。
 僕は、魚や野菜のセリのように、セリ人が丸太の隣に立ち、まわりを買い付けの人たちが囲んで大声をあげてやるものだと思っていたが、そうではなかった。広い部屋に、会議用の長テーブルが並べられ、そこにあらかじめ予約しておいた昼食の弁当と急須、湯呑、それと入札額を書き込む用紙が置かれている。出席者たちは弁当を食べ、茶を飲みながら鉛筆で金額を書き込んでセリがはじまるのを待っていた。やがて、森林組合のセリ人たちが前に登場、簡単な挨拶をすますと、いよいよセリがはじまった。
 「何番、ナントカ~」
 とセリ人が目録を順番に読み上げ、欲しい人が手をあげて入札額を記入した用紙を掲げると、後ろから職員が答案用紙を回収するようにさっと受け取り前方のセリ人のところへ持っていく。セリ人は、手早くそれらを目の前に並べ、チラッと見た瞬間、もっとも高い金額を書いて提出した人の名を呼ぶ。まさに一瞬の勝負である。案内してくれた家具デザイナーは、終始眉間にシワを寄せ、恐い顔をしてセリ人の方を見たり、用紙に鉛筆で数字を書き入れたりしていた。
 その様子に引きこまれ、僕も最初は、肩が凝るほど緊張していた。しかし、やはり部外者である。いただいた弁当を食べて腹がふくれたところに、単調なやりとりの繰り返しが続くので、そのうちにうつらうつらしてきた。そして、失礼だと思いつつも、いつしか居眠りしていた。いびきなどかかなかったろうか。夢うつつで、ウグイスの啼き声を聞いたような気がする。なにかの拍子で目がさめると、まだセリは続いており、家具デザイナーはやはり恐い顔をしていた。
(4月11日月曜日)

2022年4月6日 高山にて


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