第136回往復書簡 月桃、10時
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
6月は、節目の月。
4日の誕生日、友人、父の命日。23日は、沖縄慰霊の日。
先週、ラジオでは、うちなーオールスターズの月桃という曲がくりかえし流れて、きくたびに、歌詞のやさしさ、かなしみに、涙がこぼれた。
沖縄は、なんどか訪ねた。
月桃は、涼し気な葉を揺らしていた。町なかでも、家いえの庭でも見かけた。月桃のお茶も、さわやかな香りで、おみやげに買った。
この曲は、ことし初めてきくことができた。沖縄の歴史を悼むとき、ニューギニアで戦死した祖父のことも、かならず思う。
戦地から祖母にあてた便りは、またみんなで楽しく暮らせることもあるだろう、それまで呑気に暮らせと書いてあった。その日は、来なかった。
巣ごもり暮らしになってからは、若い軍服姿の祖父の写真に毎朝昼晩手をあわせ、またみんなでたのしく集える日がきますようにと願ってきた。
おじいさんに、酷なことを頼んでいた。けさになって、やっと気づいて、申し訳なく、かなしくなった。
NHKの朝のドラマの主題歌になっている、三浦大地さんの燦燦という曲も、たびたび流れる。歌詞に、糸と針をにぎるひとのすがたがあり、祖母をかさねる。
うちのお寺さんは、亡くなって50年たつと生まれ変わっているそうよ。母がいっていた。もしそうなら、祖母は、あちらで祖父に会えなかったことになる。
夕方、自転車をこいで帰ってきて、朝夕いっしょにごはんを食べていたひとが、いなくなる。若い妻と、5歳の娘は、つらく、不慣れな日々を過ごすことになった。この曲にも、涙が出る。
昨日の夜は、平井堅さんの、大きな古時計が流れた。まえに、この曲のふるさとを訪ねていく平井堅さんのドキュメンタリー番組を見たことがあった。
年をとり、だんだん耳が遠くなって、テレビは野球しか見なくなっていた父が、その番組は、ずっと見ていた。知っている曲だったかもしれない。
……この男は、歌がうまいな。
初めてきいた平井堅さんの歌声に、そういった。
ことしの水無月。おてんとうさまは、あっけなく梅雨あけしたけれど、めそめそして過ぎていく。
ちょっと泣くと、荒れてかわいたこころが静かになる。ドライアイにもいい。自給自足の慈雨と思って、鼻をかむ。
さあ、洗濯を干さないと、暑いけど、アイロンもかけないと。
いまできることに、もどっていく。
月桃や目をとじ聴きいるラジオかな 金町
(6月29日水曜日)
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