第163回往復書簡 バッハ
牧野伊三夫 → 石田千さんへ
今年は久しぶりに小倉の実家で正月をすごした。
かれこれ十二、三年ぶりだろうか。ずいぶん間があったので、親が年をとって昔のようにはりきっておせちを作らなくなっていたり、社会人になってしまった姪っ子にお年玉を渡そうとすると困った顔をされたり、浦島太郎のような気持になった。それでも大晦日からの一連の流れは変わらず、鍋を囲んでの紅白、ゆく年くる年、家のそばの若宮神社でお詣り。元旦は、ネクタイを締めてお屠蘇、今年の抱負、そして、ご馳走を前に酒を飲む。今年は九州菊の一升瓶をあけて飲んだが、目が覚めたら夕方で、まわりに誰もいなくなっていた。ふたたび雑煮など食べ、さらに飲む。餅は一個だった。子供の頃の六個とか七個が、いつのまにか酒に代わっている。飲みながら、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートをみる。これがよかった。
ヨハン・シュトラウス。クラシック熱は、ますます高まり、二日、書初めに「BACH」と書く。今年は、バッハのように純粋に絵と向き合いたいと思ったのである。そして、この日は我が家では、母方の島根の祖父のしきたりにしたがって、女正月ということになっている。正月の支度をしてくれた女たちに休んでもらい、男たちが風呂を沸かし、食事の支度をするのである。「お風呂、わきましたよ。」
三日は、毎年絵馬を奉納している妙見宮へ初詣。
昨年、お世話になった画廊の唐仁原さんがお亡くなりになり、二十年続けてきたここでの暮れの個展を辞退することにした。
今年はあらたな気持ちで画業と向き合ってみようと思うけれど、まずは、バッハかな。
(1月13日金曜日)
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