第111回往復書簡 足立山(日記と手紙)
牧野伊三夫 → 石田千さんへ
年越しと正月
暮れの紅白で一番よかったのは、バンプオブチキンだった。浜辺で少し懐かしい感じのするエレキギターを軽やかに弾いて、うつむき加減に歌う姿に見入った。最近のバンドかと思って妻にたずねてみると、もう二十年以上も前から活動しているらしい。
ゆく年くる年を見終えたら寝て、元旦は早くから初詣に行くつもりだったが、だらだらとウィスキーを飲んで朝寝坊をしてしまった。元旦はよく晴れていて、暖かかった。一時間ほど歩いて熊野さんに着くと鳥居の外まで参拝客が行列をなしていたので、あきらめて翌日出直すことにした。昨年までとは違う近道を歩いたから、畑の向こうに見えるはずの富士も拝めずで、なんともぱっとしない正月のはじまりだった。
それでもおせちは食べる。今年は、毎年かわらず家で作るおせちの他に、神楽坂の料亭「石かわ」のお重を並べて富山の「幻の瀧」をあけ、新しい年を祝った。暮れにこの料亭のおせちの品々を描く仕事があり、描いているうちに食べてみたくなって取り寄せたのだ。いつものごとく大酒を飲んで酔いつぶれ、夜中に目をさますと、テレビで「昔話法廷」などという興味深い番組をやっていたので、ついついまたビールをぬいてしまう。浦島太郎や赤ずきんなど、童話の主人公が現在の法廷で裁かれるという一風変わった趣向に釘付けになった。実写の合間合間に登場する伊野孝行さんのコミカルで懐かしい雰囲気の童画がまた味わい深く、よかった。そんなわけで夜ふかしをしたので、二日も初詣はとりやめにして、書初めをやった。今年は「こころ」の三文字を書く。色や形ではなく、精神的なものを追求して絵を描きたいと思ったのだ。
今朝は七時ごろに目が覚め、顔も洗わずに窓を開け放って七輪に炭火を起こしてやかんをかけた。一升瓶を傍らに置き、数の子と黒豆、筑前煮などを肴に飲みはじめる。小鳥たちがさえずる声がして、吐く息は白かったが不思議と寒くない。熱々の雑煮をすすり、やかんの湯気がたちのぼる七輪に手をかざしてこすり合わせた。満足に初詣もできず、富士も拝めていなかったが、そうやって青く澄み渡った空と庭の白木蓮が葉を落として小さな蕾をつけているのなど眺めて酒を飲んでいると、ようやく正月らしい気分が高まってきた。やっと、ふらふら自転車をこいで熊野さんに初詣に行くこともできた。おみくじは、末吉。
(1月3日月曜日)
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