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第47回往復書簡 柿の木

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

 夏にのびた柿の枝を切って、その葉で柿の葉ずしをつくってみる。ずいぶん昔に買った辰巳浜子先生の料理書を見ながらであるが、この本には昔ながらのうまそうな料理が多く紹介されていて、ときどき挑戦してみるのである。
 旬の秋鮭に塩をしたのと、鯛の昆布じめを一晩寝かせたのを、親指くらいの小さな酢飯と梅酢につけた生姜の細切りを一緒に柿の葉に巻き、重しをして一日待つ。手のひらに酢をつけて酢めしを握っているとだんだん手がしわしわになってきて、辰巳先生の手もこんなふうになったであろうかと想像しながら、ぎゅっと葉を巻いていった。大きな木製のボールいっぱいにできたのでひとつつまんで味見をしたが、なかなかうまい。このあと柿の葉でどんなふうに味がかわるのだろうか。今夜から食べはじめるのであるが、台所には昨日あけたばかりの菊正宗の一升瓶がある。午後に仕事場に戻ったが、これを燗してやりながら食べると想像しただけで、そわそわしてどうにも落ち着かなかった。
 辰巳先生の家には柿の木が数十本あったらしいが、我が家には小さいのが一本しかない。前の家に住んでいた頃おいしい柿を食べて、その種を蒔いたら芽が出たのだ。きっと将来同じ味の柿が実るだろうと今の家に引っ越すときに根ごと掘って持ってきた。ところが、植え直ししてすぐに、柿の木は葉を全部落として枝だけになってしまった。そのデリケートな様子に驚き、もう死んでしまったのかと落胆して、「柿ちゃん、ごめんな。生き返ってくれ」と毎日声をかけていた。だから翌春、新芽を出したときには大いにうれしかった。そしてまた、おいしい柿が実るのを夢見ていたのであるが、昨年、近所の植木屋に種から育てた柿は渋柿しか実らないと言われ、ふたたび目の前が真っ暗になった。残念に思ったが、干し柿もうまいと言われて気を取り直した。冬に軒先に柿を干して吊るした景色もなかなかいいに違いない。桃栗三年柿八年で、種を植えてからちょうど八年のこの秋は、ついに実るかと心待ちにしていたのだが、ひとつも実らなかった。まだ植えかえのショックが残っているのだろうか。来年を楽しみに、ひとまず今年は柿の葉ずしである。
 柿の葉ずしは、初夏の青い葉でも紅葉した葉でも作れるらしい。いつか千さんにも食べてもらいたい。

(10月7日水曜日)

スカーレットのスカートとすれ違うビリジャンのワンピースの女性


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