第114回往復書簡 水音、25時10分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
外出のまえに、メールをたしかめた。
青木隼人さんから。日田に来たので、三隈川の映像を送ります。みじかいメッセージと添付のファイル。
つぎにスマートフォンを見るのは、寝るまえ。帰ったら、たのしみが、待っている。うれしい。買いものリスト、除菌ウェットタオル、トイレを使わせてもらうときの、ビニール手袋、ポケットのあれこれをたしかめ、わずか二日間でためてしまったおおきなごみ袋をもって、ドアをあける。
来週は、病院の検査があるから、さきにあれこれ、いつもよりたくさん買った。山ほどかついで帰り、へとへとで除菌作業をして、お風呂と食事、洗濯を終えると、翌日になる。きょうは、買いものがたくさんで、1時をまわってしまった。
ああ、早起きできていたころに、もどりたい。
薬を飲むようになってから、すっきりとした目覚めることはない。毎日、泥のなかから、かなしい、こわい、つらいをしょって、はいあがる。朝は、それしか考えられない。
それでも、パンを焼きながら、スクワットとストレッチをする。目玉焼きとピーマンのソテー、トーストとりんごと、ヨーグルト。食べ終えてすぐに昼食のしたくをするころになると、たのしみにしているロバート・ハリスさんのラジオ。きくうちに、なんとかなりそうと思える。
夕ごはんのしたくをして、洗たくものをたたみ、掃除機をかける。帰ったら、除菌のモップとトイレをそうじして、風呂、めし、洗濯、寝る。きょうは、洗濯、映像、寝る。うれしい、ありがたい。ほんとうに、うれしかった。
励みを灯して、スーパーマーケット、薬局、パンやさん、おにくやさん。お店のかたと、すこしやりとりをして、えっちらおっちら帰った。
それから、あれこれ働いて、おふろから出て、グラス1杯だけになったビール。スープをあたため、野菜を蒸して、チーズをかじり、パンを焼く。テーブルについたら、白ワイン。こちらも、ちいさなグラス1杯。
洗濯を干し乾燥機をつけ、お皿を洗えば、好きなラジオはみんな終わってしまった。寝坊になっても、夜ふかしをたのしむ余力はない。そうして、充電をするまえに、スマホを見る。
モノクロの映像だった。画面をいっぱいにすると、硯のようだった。
石を撫でながら、三隈川の水がいく。しぶきと光も、ついていく。音がきこえると同時に、声をあげて泣いた。全身の反応に、びっくりした。
三隈川がなつかしいとか、原さん元気かなあとか、そういう人間らしい感傷ではなかった。
生きて見てきた、川の水音。海につづく、実家ちかくの流れ。子どものころは、神田川わきのマンションの、氾濫と濁流。ひとりぐらしの、江戸川、荒川。すべての水音が、失った記憶をとりもどしたような激しさで、心身をめぐった。
二年以上、川を見ていない。それどころか、いまでは、地球に川があるということも、すっかり手ばなして生きていた。だから、ほんとうに、はじめて川の流れを見たように、びっくりしたのだった。
1分の映像を、3回くりかえしてみた。三隈川の流れは、涙になって、ここに届きました。強い覚醒のおかげで、ぐっすり眠れました。
青木さん、日田で、思い出してくださって、ほんとうにありがとう。
凍て水を撮る目やさしき三隈川 金町
(1月28日金曜日)
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