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第210回往復書簡 毛糸、16時

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 帰省しているあいだ、毛糸をほどいた。
 巣ごもりになって、半年くらいは、毎日編んでいたのに、だんだん除菌三昧になって、床に毛糸がころがったりしたら、息をとめ、すぐさまアルコール消毒。そんなふうになって、もうすっかりあきらめていた。
 母の部屋の戸袋をかたづけていたら、紙袋に入った毛糸と編み針がでてきた。毛糸はどれも、とても古い。あなたが生まれたときの、お祝いかもしれない。しろい、細い毛糸がたくさんある。それを2本、それから東京から持ってきた白地にみどりのつぶつぶを撚ってある糸。3本どりで、ゴム編の筒に編んでいた。母のネックウォーマーを編むつもりでいたと思い出した。編んでから、洗えばいい。そう思っていた。
 マスクをして、ほどきはじえる。まえはマスクなんてしなかったし、毛糸がころがったって、ひょいとひろって、また編んでいたのに、ころがることが、おそろしい。それで、毛糸をおおきな菓子箱にいれて、気をつけながらほどく。
 3本どりなので、ほどけば、糸は3本にもどり、いちどに毛糸玉をみっつつくることになる。子犬を三匹つれて歩くようなかんじ。けっこう根気がいる。
 テレビをみながら、家事のあいまに、三日がかりでほどいた。
 つぎに帰ったときは、試し編みから、やりなおす。製図は、東京にもどればある。筒の、まえのほうに、カーブをつけてある。それがあると、襟元がぐずぐずしない。まえにも、ひとつふたつ編んでいて、母はいまもそれを使ってくれている。あたらしい毛糸がほしいけど、買ったら、あたらしい毛糸を洗ってから編まなくてはいけなくなる。細い糸で編むのは、時間がかかるけれど、しっかりした編地になる。
 赤ちゃんご誕生のお祝いに、毛糸を贈るというひとは、お腹がおおきくなるあいだ、毛糸を手にされるひとは、いまもいらっしゃるのかな。
 テレビの天気予報がはじまった。母は、リモコンで音をたかくして、立ちあがる。あした、飛行機、飛ぶといいね。家じゅうのカーテンを、しめてまわる。

  古毛糸しんしん眠って半世紀   金町
  (1月19日金曜日)

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