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第126回往復書簡 ほたるのひかり、うしみつどき

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 おととしの夏いらいの読書をはじめた。
 巣ごもりがはじまってから、ずっと読んでいなかった。毎日へとへとで、病気にもなったり、目のぐあいもよくなかった。いつも全身に、読書どころじゃないとせかされていた。
 そのもろもろの不調に、ようやく慣れた。
 先週の日曜の晩、いままでより30分はやく家事が終わった。それまでなら、1分でもはやく寝たかった。そのときは、木箱から、えいと一冊ひきぬいてみた。会えないあいだも、あたらしいご本を送ってくださるかたがいらして、木箱にひとつ、ならんでいる。牧野さんも、そのおひとり。
 目をつぶってつかんだ本は、小沢信男さんのさいごのご本だった。昨年のおひなさまが、ご命日になってしまった。桜のはなびらが舞う春のうちに、読み始められてうれしい。これも、ささやかな、新学期。
 ひらくと、エッセイがたくさん。池内紀さん、坪内祐三さんへの追悼文もあり、書かれた小沢さんも、旅立たれたけれど、お三人とも、いまだ亡くなられた実感がない。
 副題に、俳句的日常とあり、小沢さんの俳句がたくさん読める。ユーモア、ほがらかさ、生粋の東京人の粋。ご自身は、久保田万太郎の俳句が、作句のきっかけだったと書かれている。
 すこしはやく寝られる日、エッセイをひとつ読む。散歩のあつまりにまぜていただいたことがあったので、耳のなかから高く張りのあるお声をきいて読める。そのお声を頼りにするのは、しあわせで、さびしい。
 さて、そうして読みはじめたその晩から、ふしぎなことがおきている。
 読み終えふとんにもぐり、ひと寝入り。トイレに起きるのは、2時か3時。手を洗って用をすませ、また手を洗ったら、消しているはずの蛍光灯が、ちらちらする。スイッチをたしかめると、しっかりオフになっている。また目がおかしくなったかな、心配したけど、夜中なので、ようすをみることにした。
 朝になると、蛍光灯は消えていた。1日いろいろ気をつけておいたけれど、目の異常は感じない。そうして、その晩の夜中も、やっぱり、ちらちらとするので、これは蛍光灯がおかしい。あたらしいものを一本買った。
 ところが3日すぎても、きょうになっても、まだ切れる気配はないので、きっと小沢さんが遊びにきてくださっている。そういうことにした。暗い部屋をうろうろするのはあぶないと、案じてくださったのかもしれない。トイレにいくたび、小沢さんと思い、お礼がいえる。そうしてまた、ぐっすり寝る。

  ありがたきほたるのひかり春の夜  金町

  (4月18日火曜日)

 

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