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第180回往復書簡 祝日、14時

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 牧野さん、九州だより、ありがとうございました。日田のみなさんのごようす、うれしく拝読しました。個展のこと、また教えてくださいね。
 子どもの日は、ゆりさんと昼食をごいっしょできた。新宿から、飯田橋に移転したル・クープ・シュー、うれしくて、開店まえに着いてしまった。
 新宿のル・クープ・シューは、ながく家族でうかがっていたお店だった。新宿に勤めていた父が、グルメガイドの本で知って、いってみようということになった。そうして、入学、卒業、お祝いごとがあれば、かならず、ル・クープ・シューだった。
 両親が東北にもどってからも、東京にくればうかがっていた。そうして、あれは、いつごろだったか、父がひとりで東京に来ていたときの夕食を、ゆりさんにおつきあいいただいたのだった。
 ゆりさんは、なんどか実家にも遊びにきてくださっていて、いつでも耳の遠くなって会話にとりのこされてしまう父のはなしを、よくよく聞いてくださっていた。その晩、父は、コースメニューをいただきながら、ゆっくりたのしく食べて、話し、上機嫌だった。
 それから、なんどか東京には来ていたけれど、ル・クープ・シューは、あの晩が最後だった。
 新宿のル・クープ・シューの閉店は、インターネットで知った。そうして、飯田橋で再開されたと教えてくれたのは、兄だった。
 まだ夜の食事には出かけていないので、お昼にゆりさんをお誘いしたら、予約をしてくださった。
 飯田橋から九段のほうに歩いたビルの2階、ドアをあけると、まっかな椅子がならんでいる。船室のような雰囲気は、そのまま。2階になって、光がたくさんはいって、明るくなった。
 なつかしいなあ。あたらしいお店なのに、なんども声にした。
 お昼は、コースで、お魚かお肉かを選ぶ。
 ゆりさんは、すずきのポワレ。父ならぜったいお肉だから、豚のローストをお願いした。
 ロゼのスパークリングで乾杯すると、前菜とパンがはこばれる。添えられたバターも、そのまま。ル・クープ・シューのバターは、ここだけの特別な美味。フランスの旅でも出会えなかった。
 父が亡くなって、来月末で、5年になる。そして、だいじなことを思い出した。
 ル・クープ・シューをご一緒してくださったゆりさんは、生前さいごの帰省のときも、病室に同行してくださったのだった。
 父は、さいごまで意識がしっかりしていて、ゆりさんが来てくださったことは、わかっている。けれど、声がよわって、懸命になにかいうけれど、聴き上手のゆりさんにもわからない。すると、細くなった指で、枕もとのえんぴつと紙を手にとり、書きつけた。けれど、うすい、ゆがんだ文字は、読み取れなかった。その翌週、亡くなった。
 さいごのメモは、そっと持ち帰り、手元にあるけれど、やっぱり読めない。
 泣きべそで、前菜をいただき、白ワインとメインへ。ゆりさんのお皿の、サフランのソースは、ミモザのようにあざやかだった。やわらかなロースト・ポーク、おいしい、かわらない。うれしいね、きっとお父さん、見ているね。
 つるんとつめたいブラマンジェとコーヒーをいただくと、例によって、お手洗いで、除菌にもたもたしてしまった。そのあいだに、ゆりさんは、お会計をすませてしまった。失敗、父に、母に、兄に、しかられる。ゆりさんは、うちの家族全員の、だいじなだいじな恩人。次回は、かならず、盛大にごちそうする。
 食後、ふたりでお店のまわりを歩くと、オフィスビルとならんで、メタセコイアの並木があった。きもちがいいね、おおきいね、あの鳥はなに。ひよどり。メタセコイア、すごくむかしからあった木だよね。ぶらぶら駅にむかい、手をふった。
 子どもの日らしい、はれやかな昼をすごし、地下鉄に乗った。
 駅に帰れば、消毒アルコールと洗剤を買いこみ、いつもの夕方にもどる。

  ここだけのバターうれしや子どもの日    金町

  (5月12日金曜日)
 

 

 

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