見出し画像

第113回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

  椅子の回覧

 四月に東京・白金のOFSギャラリーで行う個展に出品する作品のためのノートをつくる。木や森を主題にした絵や彫刻作品を制作するつもりだが、まだ漠然としているので、エスキースをしながら考えてみるのだ。でも、考えてみたところで仕方がない。気休めのようなもので、結局、手が動くほうにむかって何か描いていくのだろう。
 絵や彫刻のほかに、工芸品も出品しようと思っている。昨年の秋に日田で、地元の杉を使った椅子や風呂のフタ、ペーパーウェイトなどを制作する「ヤブクグリ生活道具研究室」という組織を立ち上げた。僕はここでデザイナーの役をしていて、いま、日田で製材所を営む杉の目利きの佐藤栄輔さんと、九重で家具の工房を営む家具職人の戸高晋輔さんと腰かけ椅子を作っている。デザイナーなどといっても僕は素人で、設計図面も描けないし、模型を作ることもできない。ただなんとなく、こんな椅子があったらいいなと絵を描いて二人に渡し、試作品をつくってもらうのである。
 作年末に大きな段ボール箱に入って、その試作第一号が家に届き、しばらく座ってみたり、眺めたりしていたが、先週、感想や改良点などを記して一緒に製品づくりをするグラフィックデザイナーの富田光浩君のところへ送った。そのあと富田君が福岡の美術大学で講師をしている伊藤敬生さんのところへも送ることになっている。二人も感想など記して戸高さんのところに戻し、戸高さんが、僕ら三人の意見を反映して試作に手を加えて仕上げていくのである。九州の山奥に住む戸高さんと、東京や福岡の町なかに住む仲間たちとのこうしたやりとりはなかなか楽しい。杉の椅子というのは、とても軽くて片手で軽く持ち上げられるが、その割に丈夫にできている。さて、どんな椅子ができあがるのだろう。
 実は昨年の秋、椅子の前に、家庭の風呂のフタをこの仲間たちと作った。製品名はそのままズバリ「日田杉 おふろのフタ」。こちらは、ただ杉の板を五枚束ねて、包装紙を巻いただけの商品である。僕は昨年の秋から実際に家で使っているが、プラスティック製のものなどとは全然ちがい、湯船の上に並べてみると自然そのままのなごやかな風情が漂う。塗装もしていないから、ほんのり杉の香りがするのもいい。それで僕は、そのよさを伝えようと、包装紙に「ユニットバスで温泉気分」などとキャッチフレーズを筆書きした。こちらの方は、製材所の佐藤さんが担当で、地元のいい杉を選んで、カビのきにくい赤太の部分だけを製材し、カットして作る。こんな素朴な風呂のフタを欲しがる人がいるのだろうかと思っていたのだが、先日完売して、いま追加で制作している。僕は思いがけなく評判がよかったことがうれしくて、今度は、お風呂の椅子を作ろうと、先日、絵を戸高さんに送った。

マルサク佐藤製材謹製 日田杉おふろのフタ/ヤブクグリ生活道具研究室

       マルサク佐藤製材謹製 日田杉おふろのフタ

ヤブクグリの仲間たちと。日田にて。 2021年11月14日 伊藤敬生撮影

  ヤブクグリの仲間たちと。日田にて。2021年11月14日伊藤敬生撮影


   ガトーノワゼット

 田園調布のフランス菓子店「サヴール」でケーキを焼いている牧野厚美さんから、「ガトーノワゼット」という新作のケーキが届く。お洒落な菓子だし、なにより厚美さん考案のレシピだという。ゆっくりと味わって食べて感想を伝えようと、いつもより丁寧に珈琲を淹れ、皿に切り分けたが、あまりにもうまくて言葉を浮かべる前に食べ終えてしまった。これまでの甘さやバターの風味をおさえた深い味わいのバターケーキにヘーゼルナッツの香ばしさを加えた、ちょっと楽し気な味だった。
 厚美さんとは、昨年の秋にサヴールの二階に新しくできたギャラリー「un」で個展をしたときにはじめてお会いした。搬入日の朝、彼女は都心にあるそのギャラリーまで作品を運ぶために小さなワゴン車で東京郊外の僕のアトリエまでやってきた。荷台の扉を開けると甘くいい香りがするので、伝えると、「これ、冷凍車なんです。キッチンで焼いたバターケーキを店まで届けるのに使っているんです」と笑いながら言った。どうりで。荷台には窓がなく、エアコンのようなものがとりつけてあった。僕は一緒に乗ってギャラリーまで行くことになっていたのだが、古い車で、助手席に座るとカセットデッキがついていた。それで家にあったカセットテープをいくつか袋につめて持ってきた。かつて原宿にあったジャマイカの雑貨店「トレンチ・タウン」の店主が、一九八四年にレゲエサンスプラッシュで沸くこの国でラジオから録音したレゲエやスカ、ロックステディなどの陽気な曲、一九九八年にマダガスカルの屋台で買ったティアンジャマ(TiANJAMA)のアルバム。久しぶりにかけたカセットテープから懐かしい曲が流れてきた。真夏の海が似合うような曲ばかり。厚美さんもこういう音楽が大好きらしく、お天気のよい秋晴れの日で、すっかり気分が高まりいつしかフルボリュームで聴いていた。小さな冷凍車は、なにかの宣伝カーのようであったかもしれない。多摩川の土手づたいの道を走り、スタッフたちが待つギャラリーへと向かっていたが、
「もう、ギャラリーへ行くのをやめて、このまま海まで走ろう」
「ええ、そうしましょうか」
 マスクをしたまま大声で、冗談のように言っていたが、僕らはけっこう、本気だったと思う。

ガトーノワゼット

              ガトーノワゼット

(1月18日火曜日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?