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第135回往復書簡 あわび

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 暑くなったからか、朝目覚めて祖父母と行った若松の海へ続く道を想い出していた。僕はまだ子供で、弟も一緒もいて、みんなで麦わら帽子をかぶって山から続く畦道をバス停まで歩いた。祖母は風呂敷に包んだ弁当と水筒を手に持っていた。祖父の持ち物は、木箱にガラス窓をとりつけた自作の水中眼鏡と竹の先に金具がついた棒。これはウニやアワビをとる道具で、僕は浮き輪にしがみついて、祖父が岩場をのぞいてまわるのについてまわった。
 岩にアワビを見つけると、声をひそめて静かに近寄っていく。そして、平たくなったその金具の先をアワビと岩の間に勢いよく差し入れると、アワビは岩から離れてゆらゆらと砂の海底へ沈んでいった。
「アワビは、やぁっつ!と一回でしゃくらないと、一度岩に吸い付いたら殻が割れてもはなれんよ」
 それをきいて、僕は白い肉の塊のようなものが岩に付着している様子を想像したが、そのアワビの必死な姿を面白く思って、家に戻ると弟と「アワビごっこ」をやって遊んだ。どちらかが何かにつかまって、それをもう一人が、肩や腹に手をかけ、なんとかしてはがそうとするのである。しかし、そのうち髪の毛をひっぱったり、急所を攻撃するようになり、喧嘩になるので、やめた。
 祖母は日傘をさして砂浜に座っていて、ときどきこちらに向かって手を振った。お昼のとき、浜で紫赤ウニと馬糞ウニを食べくらべたが、馬糞ウニの方がうまかったことを、まだおぼえている。
 (6月27日月曜日)

東京・函館 ピアノと絵の通信 2022年6月26日



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