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第105回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

   土

 アトリエに、旅先で採取した土を容器につめて、土地の名を記したラベルを貼って並べてある。馬毛の漉し器で細かいものだけを集め、アラビアガムやアクリルメディウムなどの接着剤と混ぜ合わせて絵具にするのだ。黒や赤、黄など、いろいろな色の土がある。
 これまでで一番好きだった土は、帯広で採取した薄桜色のもので、おそらく火山で変色したものだろう。やわらかく、艶やかな色だった。よく使ったからもう無くなってしまった。たしか、神田日勝の美術館へ行く途中ではなかったか、道路をつくるために切り崩されたところがあって、珍しい色の土だと車を止めて、買い物のビニール袋に詰め込んだ。カンバスにその土で作った絵具を塗っていると、帯広駅前で食べたグリンピースがのった豚丼のことをよく思い出した。
 マダガスカルで採ってきたのは、赤味の濃い朱色の土で、島の南部へ行くと舗装のない、この赤い土の凸凹道がどこまでも続いている。テラ・ロッサとか、そんな名前の赤土色の絵の具があるが、それよりもずっと濃い赤色で、豊かな自然を思わせる色の深みがある。この土をとり出すと、真っ青な空にのびるバオバブや、アルオウディアの森、ボロボロの麦わら帽をかぶって牛舎に腰かけているマダガスカル人たちの姿を思い出す。
 赤味はそれほどでもないが、郷里の小倉にも赤土がある。工事現場などのぞくとよく堀り起こされている粘土のような赤土だが、古い地層なのだということを聞いたことがある。通っていた小学校のそばの丘を散歩していたら、この赤土がむき出しになったところがあって、そうそう、子供の頃、よくこの土で団子などこしらえて女の子とたちとままごと遊びなどしていたなと懐かしく思って採取した。
 それから、いつだったか、山陰の海へ泳ぎにいったとき、明るいベージュ色の砂のようにざらざらした土を採取したこともあった。山陰には遠浅でエメラルドグリーンの美しい砂浜が広がっていて、そばには渡来人たちの墓が見つかっている。
 その赤土や砂土でベニヤ板に描いた絵を小倉のアトリエに置いていたが、先日滞在したとき久しぶりに眺めていて、ふと、東京での個展に出品してみようと思い立ち、トランクにつめて持ち帰ってきた。自分でも何を描いたかよくわからない絵だが、画材屋で買うチューヴ入りの絵の具にはない、なんというのだろう、生々しい土の生命力のようなものを面白く感じて、いろんな人に見てもらいたいと思ったのである。

 (11月22日月曜日)

音楽による記憶の蘇生

           音楽による記憶の蘇生

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