第161回往復書簡 柚子湯
牧野伊三夫 → 石田千さんへ
武蔵野に木枯らしがふく頃になると、日がすっかり短くなって、お昼を食べてひと眠りすると、もう夕暮れだ。暗くなると、遠く玉川上水の雑木林の向こうから、北風にのって西武線のカタンコトンという音が聞こえてくる。
冬至の日、まだ五時を過ぎたばかりで少し早いけれど、仕事をたたんで晩酌にするかと思っていると、外から押し殺したような声で「牧野さーん、牧野さーん」と呼ぶ声がする。あれ、岡崎さんが遊びに来たのかな。そう思って二階の窓を開けてみると、暗がりにお向かいさんが両手になにか抱えて立っていた。挨拶すると、インターホンが鳴らなかったので、困っていたらしい。そうだ、昼寝のときスイッチを切ったままだったのだ。なんでも親戚から柚子がたくさん届いたので分けてくださるのだという。ありがたくいただくことにして、お礼にクラフトビールとリンゴをお渡しする。
翌朝、それを湯船に浮かべて、電気を消して朝湯につかった。窓を開け、頭を寒風にさらして長い間お湯に体を沈めていた。いい香りがする。このレモンイエローより少し落ち着いた黄色の、しわくちゃの実が好きなのだ。ポカポカ浮いているのを眺めながら、先日終えたばかりの個展のことをふり返っていた。
千さんが、「コハダ」という淡彩画を一枚買ってくれた。だけど、今年もパーティもせず、在廊もしなかったので会えなかった。久しぶりだったのに。思い出に画廊に貼っていた「コハダ」のことを書いた文章をここに載せておこう。
千さん、ひとまず外を歩けるようになってよかった。来年は酒場に行けるといいなぁ。
今年もありがとう。どうぞよい年をお迎えください。
コハダ
鮨だねのコハダが夢に出てきて、描いた。夢のなかでは二枚直角に並んでいたのだが、描いてみるとバランスがよくない。それでコハダの数を増やしていくと、画面がコハダだらけになって息苦しい絵になった。ああ、これは失敗だな。そう思っていたところに、僕の所属するある団体の事務局から連絡がある。最近、会員にコハダの絵を描かせようとするいたずらが横行しているのだという。注意するようにとのことであったが、ああ、もう描いちゃったよ、とがっかりしたところで目が覚めた。
僕は、夢のなかで、夢を見ていたわけだが、目が覚めてからも、その直角に並んだコハダの画像がはっきりと残っていた。
それにしても、なぜコハダの夢など見たのか。ふと考えてみると、最近友人と鮨屋へ行く約束をしたのであった。その友人から二日ほど前に届いた手紙に、どこの店に行こうか、できれば江戸前がいいというようなことが書いてあり、九段の「寿司政」を予約しようとしたが、なかなか勘定が高いので一瞬ためらった。しかし、食通の友人を誘うのに中途半端な店はいけない。それに自分も久しぶりに行ってみたかった。そのとき、山口瞳さんが、「寿司政のシンコを食べないと夏が来ない」と何かの本に書いていたことを思い出した。この粋なフレーズが、僕はどうにも好きだ。何度かつぶやきながら、もうシンコの季節は終わったけれどコハダはあるだろう、と、いい按配にしまった身にスッと庖丁の切れ目の入ったコハダの握りを思い浮かべていたのだ。
(12月26日月曜日)
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