見出し画像

第137回 室蘭

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 一昨年亡くなった中原蒼二さんのお姉さまに会いに室蘭へ行く。春に北九州市役所宛に手紙がきてから、何度か手紙や電話でやりとりをしていたが、四十年来の友人だった中原さんに姉がいることを知らなかった僕は、会うまで本当の姉弟だろうかと信じていなかった。
 だけど、東室蘭駅の改札で顔を見て、本当のお姉さんであるとすぐにわかった。あまりにも顔がそっくりだったのだ。僕は涙をこらえた。
 ご自宅でガレットを焼いて、ビールのあと、冷蔵庫からこれしか売っていなかったのよと小樽の甘い白ワインを出してもてなしてくださった。話は、亡くなる前後のことから、家族、水族館劇場、雲のうえ、ヒグラシ文庫、富良野での少年時代のことまで、とりとめなく続く。お互いに中原さんが傍らにいると感じていたと思う。中原という名前が本名でないことを知っていた僕は、その名前の由来についてたずねてみる。
 中原淳一?そんなことは、絶対にありえない。中原中也でしょう。
 八十二歳になるお姉さんは、想い出話ばかりで疲れたのか、楽譜をとりだして、ヤマハの音楽教室で習ったばかりのオカリナの演奏をしてくださる。もてなし上手も中原さんとそっくりだ。
 富良野からとびだすように東京へ消えた弟は、亡くなる一年前に刊行された『わが日常茶飯』の扉にこう書いていた。

  御姉様 蕩児 明日還る 中原蒼二

 翌朝、葛西薫さんの母校を訪ね、部活動で走っていたというイタンキ浜へスケッチを描きに行く。葉書も一枚、葛西さんへも出そうと描いた。そのあと、地球岬のある山に登り、室蘭の製鉄所の景色を眺めた。郷里の八幡の製鉄所を知る僕は、港に積まれた鉄鉱石やコークスが、工場のなかを溶鉱炉まで運ばれ、銑鉄となり圧延工場へと流れていく様子を思い浮かべてしばらく眺めていた。室蘭も、中心に製鉄所のある町だった。山を下りて、郵便局で絵葉書を投函して、カツカレーを食べに行く。

 盛岡で電車を乗り換えのときに、お姉さんにお礼の電話をすると、
 「あら、あなた、もう塩の河をお渡りになったのね」
 というので、しばし何のことかととまどったが、すぐに津軽海峡のことだとわかった。
 (7月11日月曜日)

イタンキ浜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?