見出し画像

第87回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ


夏休み
 
 これまで、夏になってはじめて聞く蝉の声を「一番蝉」と言っていたが、千さんに倣って「初蝉」と呼ぶことにした。美しい言葉だ。ことしの初蝉は七月九日で、やはりニィニィゼミだった。いまはもう、いろいろな蝉の声が混ざって合唱をしている。
 もつ焼き屋はどこへ行っても『八月二十二日まで休業』の貼り紙だ。面白くないので家での晩酌のとき、妻のことを「マスター」と呼んでみる。空のグラスを持ち上げて、「マスター、ナカおかわり」と言うと、「なんか嫌だわね」と苦笑するのだった。
 梅雨があけて、いよいよ夏らしくなった光の木立を散歩していて、ふと、八月いっぱいまで夏休みにしよう、と決めた。画業もおしまい。絵は趣味にして、描きたいときだけ描けばいい。いくつかの書かなければならない原稿を終えたら、もう秋まで仕事もメールもしない。
 目が覚めて、夏休みと思えるしあわせよ。俺は今日から夏休み。みなさん、しばらく不義理いたします。

福神漬

 朝、草履をひっかけ、玉川上水の橋を渡ってコンビニに福神漬を買いに行った。ここで買うのは初めてで、店内をひとまわりしたがどこに売っているのか見つけられない。それで、レジにいた若い女の子にたずねると、親切に教えてくれた。会計のとき、「やっぱりカレーライスには福神漬だね。ちょっと甘いけどね」と声をかけると、しばらく黙ったあと、
「好きです。とくに辛いカレーのとき」
 と言うので、たしかにと僕はうなずく。そのあとお金を渡すと、お釣りを手にのせて、「カレーですか」と聞くので、「そう。ゆうべののこり」と答えると、ポニーテールをゆらして、なにかとてもうれしそうに笑うのだった。
 レジ袋はもらわずに、福神漬けの袋を手に持って家へ向かって歩きながら、そういえばどんな野菜が入っているのだろうかと裏の表示を読んでみると、ずいぶんと色々なものが入っていた。実は、僕は、この得体のしれない漬物があまり好きではない。以前、なにかで内田百閒が酒悦の福神漬けの缶詰を酒の肴にしたと読んで、その真似をしたくなり、わざわざ上野の店で瓶入りではなく缶入りを買ってきて、酒の肴にしたこともあったが、やはり、好ましいとは思えなかった。いつもは塩漬けの大根をバリバリ齧りながらカレーライスを食べる。でも、どうしてだろう、なぜかこの日は福神漬にしてみたかったのだ。レジの女の子の言ったことを思い出して、カレールーに、ハバネロ、一味唐辛子、タバスコなど、家にあった辛味を足して、うんと辛くして食べてみることにする。よし、これで万全だ。どこかから、よく噛んで食べなさいと声が聞こえてきたが、無視して匙でもりもりすくっては、かき込んだ。
 食べ終えて、コップの水を飲みながら、一体どうして今日は福神漬でなければならなかったのかと考えてみる。そして、はっと気づく。数日前に映画のなかで、赤い福神漬を添えたカレーライスを、カチャカチャ匙を皿にあてるいい音をたてながら食べていたのを見たからにちがいない。そのカレーライスがあまりにもうまそうだったのだ。それからずっと僕は、白いめしのところに福神漬をのせたカレーライスを食べたいと思っていた。

ラビさん

 亡くなったことを、立石さんからのメールで知りました。その日は、僕の誕生日でしたよ。昨年のはじめだったか、もうはっきり思い出せませんが、あれが最後になってしまいましたね。ほんやらに行けなくて、ごめんなさい。病気のこと、心配してましたが、まだ会えると思っていたんです。ラビさん、柿ピーとミックスナッツの相盛り、あと、トマ酎お願いします。
 これからは家で飲むしかない。だけど、それじゃだめなんだ。たくさん、ありがとう。本当に。さようなら。
                      二〇二一年七月十四日


土木周波数0.001

         「土木周波数0.001」 2021年7月

                         (7月19日月曜日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?