第154回往復書簡 ただいま、11時45分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
通勤ラッシュの地下鉄。
参考書をひろげたまま、となりのひとの肩をかりて、熟睡している高校生。全員マスクをしているほかは、なんにも変わっていない。帽子をかぶっているひとは、数えるほど。ビニール手袋をはめているのは、ひとりだけ。
窓のあいているところ、ドアのそば、すこしでも空気の流れているところと動いて、眉をひそめられ、ごめんなさい。小声は、思いのほか響いて、だれも話していないと気づく。
ビニール手袋をしているのに、つり革がつかめない。まだまだ、だめだなあ。うなだれて、乗り換える。
私鉄のほうは、下り電車なので、ぎゅうぎゅう詰めではなかった。そして、地上を走る。
びっしり、マンションが建っている。見たことのあるところ、新築のところ、いま建てているところ。そうして、だんだん木々が増えて、青空が広くなる。
川が見えて、鉄橋を渡る。2年半、川を見ていなかった。すすきが光る。せいたかあわだちそうの、きいろい風。赤白帽の子どもの列が、河原を進む。雲が、みなもにうつる。
畑には、キャベツ、ねぎ。田んぼは稲刈りを終えて、ひろびろとして、お母さんに会いたいなあ。泣きそうになる。ドアのよこの広告の、お子さんの作文を読んで、ほんとうに涙をうかべる。
学生さんが、乗ったり、降りたり。リュックサックをしょったひとが増えてくる。きょうは、ほんとうに、ハイキング日和。
急行から各駅停車に乗り換えると、ゆったりと座れた。迷って、やっぱり立っていた。来週は、座れるようになりたい。
駅について、トイレにいく。まえよりいろいろ消毒があって、乗り継ぎのバスをのがした。都内より寒い。来週は、セーターと薄いダウンを着てくること。
駅前のやおやさん、そのまんまで、よかった。威勢のいいおばさんは、いなかった。帰りには、会いたいなあ。
スーパーマーケットでお弁当を買って、きゅうな坂をのぼる。
守衛さんに、おはようございます。開かずの部屋の鍵をもらう。事務室の場所がかわっていた。メールや郵便で、ずっとお世話になっていたみなさん。泣けてこまった。
みんなに会えるように、なりますように。
毎日、朝昼晩、父と祖父母に手をあわせる。
つぼみがつぎつぎ咲くように、みんなが、おひとりおひとりのお顔になっていく。
開かずの部屋まで、らせん階段をのぼると、けやきの並木のさきに、あおいあおい富士山。
しんと冷えた廊下を歩いて、鍵をあける。
窓をあけて、風をいれて、手を洗って、ほこりだらけの机を拭いた。
それから、お弁当の容器にアルコールをふきつけて食べた。
牧野さん、ゴールは燕湯。がんばりますね。
生きていて富士をあおいできのこ飯 金町
(11月11日金曜日)
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