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第95回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

  月金帳の装画

 昨年の九月末までに書いたこの連載の原稿をまとめて、港の人から本にして出すことになった。いま、そのための推敲をしているのだが、本になると思うと、旅行にでる前にカバンにつめた荷をいちいちとり出して点検するようなかんじで、大丈夫なのかと心配になってくる。
 この本の装丁は有山達也君で、挿画は僕が担当する。先日、その装画のラフスケッチができて、千さんと有山君に見てもらったら、なかなかよいという感想だった。それで、その装画に合わせて、この連載の看板も描きかえ、さっそく千さんに見せると、
「おー牧場はーみーどーりー」という感想が送られてきた。さすがです。この絵を描いているとき、僕は、たしかに高原の景色も思い浮かべていたように思う。

  出口の表示

 昨日、二度目のコロナワクチン接種をした。近所の大学の構内に設けられた会場へ行くと、大学生のアルバイトたちがマスクをして手の消毒や体温測定をしてくれた。奥へ行って問診票と身分証明を看護師に渡すと医師との面接があり、さらに奥の部屋で注射を打った。椅子にかけて、看護師に副反応が心配だが大丈夫かなとたずねてみると、「未知のものですから、こればかりはなんとも」と返事をするので、宇宙飛行士と同じ気持ちだね、と一緒に笑う。せっかく打っても、三、四か月後に免疫力が半分ほどなくなるらしく、「私たちはもうとっくに三、四か月を過ぎているので、三回目を打たなければならないかもしれないです」とこぼしていた。日本の医療はとてもすすんでいるのだと思っていた僕は、コロナのワクチンも世界で最初に作るにちがいないと信じていた。「私もそう思っていました」と、看護師も真顔で言った。いまだに国産のものがなく輸入にたよっているのは残念なことだ。注射を終えると、一回目のときと同じくアナフィラキシー反応予防のための待機室へ案内された。
 そのとき、注射する部屋から通路へ出るところの壁に貼ってあった「出口」の表示を携帯電話で撮影した。ビニールテープで文字や矢印を作っていたのが、面白かったのだ。通りがかりに見たときは、何が、どう面白いのかはっきりわかっていなかったが、後で撮った写真を見ていて、その面白味が具体的になっていく。そもそも、この表示の作者は、なぜビニールテープを用いて制作したのか。それも二色に色分けまでして。こういう場所では、パソコンの文字を拡大したり、マジックや毛筆で書くのが一般的ではないか。このように手間をかけて作った動機わからない。この場所に到るまでの案内表示は、パソコン文字で作られていたものもあったから、道具がなかったわけではないはずだ。まさか工作趣味でやったわけでもないだろう。きっとなにか忙しい最中で作らねばならない事情があった違いない。「出口」の文字のまわりに四つ矢印をつけていたが、わかりにくいと思ったのであろう、あとから大きな矢印が別の紙にわざわざビニールテープで貼られて足してあるのも実に味わい深い。あわただしさと、その反対の手間のかかる行為がアンバランスに混ざり合い、奇妙な「間」が無作為に演出されている。待機室へ移動してからも、僕はしばらく接種会場の片隅で自然に生み出されたオブジェのような表示のことが、ずっと気になっていた。
 ワクチンのせいか、今日は朝から体がボンヤリ、どんよりしている。寝ていた方がよいのだろうが、なぜか机に向かっている。でも、もう寝ようか……。

出口の表示

              出口の表示


  『雪に生きる』

 あちらこちら旅を続けて山小屋を作っては、家族や仲間たちとスキージャンプに親しんだ猪谷六合雄の『雪に生きる』の新装版が出ることになって、その装画を頼まれている。絵は木版でやることになり、何を描くか考えるのに、ながらく書棚にたてていただけのこの本を読んでいるのだが、あまりの面白さに没頭して、しばらく絵が描けなかった。僕の手元にあるのは、昭和十八年に羽田書房から出た古いもので、装画には雪山を鉛筆で描いたスケッチが用いられている。たしか、金沢を旅行中に古本屋で買ったと思うが、五百頁以上ある本文は、どこも黄ばんでシミだらけだ。活版で出版された写真もかすれているし、旧字や当て字と思われる漢字がたびたびあって読みにくいが、それが時代を感じさせて実にいい感じなのである。先週のおわり、ようやく下絵ができて送ることができた。ずいぶん心をもっていかれていたのだろう、今朝は、下絵を反転していたに転写する夢を見ていて目が覚めた。版元からの返事を待つ間、彫刻刀など研いで準備をしておくことにしよう。


『雪に生きる』装丁ラフ 2021年

       『雪に生きる』装丁ラフ 2021年

(9月13日月曜日)

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