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第207回往復書簡

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 ことしもまた柿の葉ずしをつくった。お客が二人来て、いつものごとく鳥鍋もやった。柿の葉ずしには、鳥鍋か鴨鍋がよく合う。晩秋まで夏のような暑さがつづいて、急に寒くなったからか、葉の紅葉が濃く鮮やかだった。
 いい出来に舌鼓を打ち、暮れの個展もなくなったことだし、ぼちぼち大掃除でもしようと思っていたところ、インフルエンザにかかって、独り家の隅に隔離される。数日寝込むと、肌が黒ずんで目が落ちくぼみ、髭がみすぼらしくのび、髪が鳥の巣のようにぐちゃぐちゃになる。鏡に映るそのやつれた死人のような顔を、なぜかいいなと思いながら、寒さにふるえながらじっと見てた。どこがいいのだろう……。考えていて、このごろ自分の生気というものに嫌気がさしていたことを知る。健康なあまり、僕は、なにか勘違いした、いらぬやる気を自分に課そうとしていた。こうして病んで心しずかにしているくらいが、ちょうどよい。世の中にも無関心でいられることだし、なんの気負いもなく、常日頃心の奥底で感じているなにかに近づけるだろう。蚊のような息をしながら、そのことに耳をすませてみようか。病から回復してからも、髭もさもさ髪ぼうぼうのまますごしている。しばらく床屋へも行くまい。もちろん、風呂には入る。
 そんなことを考えて、少し前に見た夢を題材に描きはじめる。
 
 さて、その夢の話。
 スコットランドの田舎の、なだらかな丘に古びた木造の家が建っていた。鈴木るみこと入り口の戸を開けて中へ入ると、棚に膨大な数の雑誌の切り抜きが整理してあった。ここは有山達也君の仕事場で、後でやって来た彼が、若いころから素敵だと思ったページを切り抜いていたのだと言っていた。ほとんどすべてが欧州の雑誌から切り抜いたもので、僕は美しいなと思いながら手にとって、さすがだなとため息をついていた。その様子を見て、鈴木るみこが隣で、ニンマリとほほ笑んでいる。有山君は相変わらず忙しいようで、彼女と仕事の打ち合わせのような話を少したあと、どこかへ行ってしまった。
 廊下を通じて別の部屋へ行ってみると、そこは何も置かれていなかったのであるが、その壁や床の表情に実に味わいがあった。窓からひかえめな淡い光がさしこんできて、深く、心地のよい色にしている。僕はしばらく見とれていた。そして、ああ、このスコットランドの自然のままの落ち着いた雰囲気、こういう世界に僕はずっと憧れていたのだ、と心のなかでしみじみと思っていた。
 そのあと庭へ出てみると、緑の丘に白い羊が三頭と黒い羊が一頭、面白い形に重なっていたので、僕はあわてて画帳をとり出した。そして、どうかそのまま動きませんように、と思いながら描いていたのだが、かいなく羊たちは動いてどこかへ歩き去ってしまった。仕方なく、どんな形だったかな、重なっていたときの形を思いだしながら描いてみたが、何枚描いても、もう思い出せず、そのうちにぐったりとしてきた。というところで、目がさめた。
起きてから、その夢のなかで見たいくつかの景色を描いてみる。夢ではあるが、あきらかに、過去に旅先や映画でみた記憶の断片が入り混じったもので、色や形がはっきりと思い出された。いったいなぜこんな夢を見たのかと思うが、そんなことはどうでもよい。この日の朝、僕はそれらの美しい光景を見せてくれたことをよろこんだ。

 ランチョン、ぜひ行きましょう。鰊漬けをつまんで、あの、ごつく洒落た形のマグカップでビールをのみたいな。このまま髪も髭ものばしていきます。乞食とまちがわないでください。

 今年もお世話になりました。
 どうぞよいお年をお迎えください。
  (12月11日月曜日)

「ある部屋」制作中 2023年12月11日

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