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第217回往復書簡 「牛窓のうた」

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 昨年の春、音楽家のハルカナカムラ君に牛窓中学校の卒業式でうたう歌の作詞を依頼されて同校の校長室を訪ねたとき、校長先生から、なぜ画家がここにいるのか、と質問された。それはそうだろう。歌を作るのに、画家はいらない。同席していたディレクターの鈴木孝尚君が作詞をしてもらうのだと説明したが、それでも校長先生は首をかしげていた。僕は作詞などしたことがない。それどころか、依頼されたのは前日、宿で一緒に酒を飲んでいたときだった。そもそも僕は絵を描くつもりで牛窓の町へ来ていたから、とまどうばかり。ハルカ君の直感で、ということだったと思うが、それにしても、大胆だなぁ。僕は居心地が悪くて、校長先生を前に、ただにやにやと笑っているしかなかった。
 そして後日、生徒たちの思い思いの言葉が綴られた手紙を受け取ってハルカ君とそれを読んだ。僕は、その言葉をつないでいくように、初めての作詞をした。宿の庭から光をきらきら反射させている海と、向こうに木を茂らせた前島がみえる、天気のいい日だった。お昼すぎに書き終えて、はるか君の前で朗読してみる。すると、彼がギターを手にして曲調を変えながらぽつりぽつりと歌いはじめ、やがて太陽がすこし傾く頃に曲ができあがった。その傍らにずっといた僕は、目の前で自分が書いたものが曲になっていく様子に驚いて、思わず目に涙が浮かんだ。知らず重圧を抱えていたせいもあったと思う。が、なによりそのメロディの美しさに感動したのである。
 それから一年。生徒たちが全校生徒による混声で歌うという今年三月十二日の卒業式に招かれて行く。体育館に響きわたった女生徒たちの清らかな水のような透明な声。声変わりしたばかりの男子生徒たちのクルミのような低くやわらかな声。僕はハンカチを握りしめて、それを聴いていた。
  (3月18日月曜日)

「ピアノを弾くハルカナカムラ君」2024年 土と灰 F6


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