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第168回往復書簡 金銀、13時

石田千 →  牧野伊三夫さんへ

 歯医者さんに通いはじめた。
 年末に、ブリッジがはずれて、くっつけていただいた。
 年があけて、2回め、検診とクリーニング、1時間くらいみておいてくださいといわれていた。
 朝いちばんの予約をして、まえの晩にいろいろしたくをして、ぴりぴりして出かけた。それでも、暮れのときは眠れないほど怖かったけど、昨夜はすとんと寝ていた。
 巣ごもりのあいだ、化粧もおしゃれも放って、とにかく歯磨きだけはがんばった。けれど、薬をたくさん飲むようになってから、歯ぐきの感触に変化があった。出血することも多くなっていた。
 椅子に身をのばし、顔にライトを受けたら、まな板の鯉。
 目をとじ、口をあけて、目をあけ、口をゆすぎ、またつむる。くりかえすあいだに、写真をとり、歯と歯ぐきを1本ずつ確かめる。さいごにレントゲン撮影をして、先生の説明をうかがった。
 ……ちいさな虫歯が2本。これは、すぐ治療できます。歯みがき、がんばっていましたね。それと。噛みしめが、すごく強い。それで、うえの金歯のなかの歯が、割れてしまっています。神経がないから、痛みはないでしょうが、当面この歯で、かたいものは噛まないでください。ここは、考えて、治療していきましょう。
 考えて、というのは、薬と病気のことだった。歯科の先生は、治療をするまえに、脳外科の先生と手紙のやりとりをして確認していてくださった。
 それで、以前は必要のなかった治療まえの血圧測定があった。
 次回の予約をして、口もすっきりして、寒い寒い午前の町を歩く。なすべきことができて、うれしかった。
 痛い思いもしなかったので、元気がのこっていた。それで、地下鉄に乗って、銀座に出た。元気だったら、お線香を買いにいこう。まえから、決めていた。
 旅行をしたときに買った、京都のお線香が気に入って、ずっと通信販売をお願いしていた。このあいだ、ホームページをみたら、東京に支店があって、人形町と銀座。それで、道のわかる銀座にむかう。
 いつものお線香を買って、お店のなかをゆっくり見せていただいた。じっさいに見られるのは、うれしいなあ。いい場所にあって、助かったなあ。
 また寒い寒い銀座の道に立って、ひたひたとよろこび、早足で歩く。
 もともと昼食をそとで食べることがすくなくて、銀座のお昼も思いうかばない。3年ぶりで、あるかどうかっもわからないけど、いちばん近くとしたら。
 大通りをまがって、泰明小学校をめざす。ああ、よかった。オ・バカナール。
 お昼さなかの、大盛況。ひとりだったので、席はあって、いちばん好きな、通りに面したところに通していただけた。
 両どなりは、女のかた、ふたりずつ。どちらも宝塚のパンフレットをひろげて、たのしそうにされていた。
 歯が鳴るほど寒かった。ここなら、きっとあると思って、めざした。そうして、念願のオニオングラタンスープとサラダの定食、それから白ワインを1杯。コーヒーと、レモンのタルトを選んだ。
 がんばったから、ごほうび。ずいぶん、豪勢なごほうびになった。亡くなった父も、そうだった。
 いろんな数値があがらないよう、1週間の節制をして、検査にのぞむ。そうして数値を無事にくぐりぬけると、その足で、フランス料理のランチに直行する。それが、毎月のおたのしみになっていた。
 なんのための通院、検査か、わからないね。
 いつも、母と笑っていた。
 銀座の空のもと、校庭では、小学生が、かけっこ、なわとび。いまも、風の子だった。
 
  北風や禍福の縄で二重跳び  金町
  (2月17日金曜日)

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