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第72回往復書簡 はなびら、16時

石田千 → 牧野伊三夫さんへ 

 したから、ななめにあらわれて、ひだりに流れていく。西日をあびて、お茶をのみながら、ながめている。はなびらひとひらで誘えるのだから、やっぱり特別なんだ。
 きのうは、もう葉桜で、写真を撮るひともいなかった。つつじと、花水木が咲いていた。お彼岸がすぎ、四月にはいって、うそもつかないまま週がすすみ、いきなり初夏になった。たしか、去年の秋は、お彼岸からぱったり寒くなった。これからは、暑さ寒さは彼岸からとしたほうがいい。
 蜂が元気になるまえに、昨夏から放っておいた植木の草むしりをしている。枯れ葉をあつめ、苔をはがし、犬ふぐりやはこべらを抜く。一日、ちいさなビニール袋にひとつだけ働く。きょうは、鳥のふんがついていた手すりを拭いた。すこし、すっきりした。ベランダに出るようになって、のうのうと手すりで休んでいた椋や雀がこなくなった。おばさんを、あまくみてはいけないよ。意気地は、そのくらいもどったけど、秘密の花園を復活させた女の子の根性はない。
 仲宇佐ゆりさんは、土曜の晩に、長電話の相手をしてくださる。ラジオの取材の仕事を長くされていて、このあいだは、取材をされたOTTAVAというクラシック専門のインターネットのラジオ局のはなしをうかがった。自然界の音が流れる時間があって、心身が整ったとのことだった。
 そのあとさっそく、携帯電話で聴いてみた。鳥や虫の声、水音が流れている。ときおり、小編成の静かな音楽がかかる。その、ときおりの間隔が長いので、ここちよい。ききながら、このごろCDをきかなくなっていた理由がわかった。
 ひとりで選んで、ひとりでかけて、さびしかったんだ。だれかが選んだ音楽が、自然の音のなか、ふいにかかる。それが、ありがたかった。
 それから、毎晩のようにきいている。解説がある日があって、自然音をきくと、心身がやわからくなって、立位体前屈の記録がのびるとのこと。
 それまでは、夕食を済ませ、皿を洗って、アイロンをかけるときにはニュースをきいていた。ニュースが虫や鳥や水の音にかわっただけで、きょうの心身の力みに気づく。それは、飛行機や新幹線に乗ったあとに感じる重みに近い。
 だれもが、この一年、すさまじい気圧風圧のなかを生きてきた。
 荒れたベランダをながめなくてよくなって、よかった。お茶をのみほし、四月にはいったので、キャロットラペを解禁する。三月まで、くだもののほか、生ものは食べずにいたので、おなかがおどろくかもしれない。胃腸炎になりやすいから、生魚のほうは、まだ自粛をつづける。
 おすしやさんに、いきたいなあ。

 (4月2日金曜日)

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