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第143回往復書簡 坂とレゲエ

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 小倉の実家のそばを散歩していて、坂の名前というものがまったく無いことに気づいた。地元では、「八幡池から日田彦山線の踏切へ行く坂」とか、「一本松の丘から若園小学校に下る坂」などと呼んでいる。戦後、宅地として発展した新しい町だが、そろそろ「かえる坂」とか、「松の木坂」とかいう名前をつけてもよいかもしれない。
 散歩コースのなかに、「お寺の傍を産婦人科に登っていく坂」という坂があって、ここは小学生のとき、夏休みになると毎朝ラジオ体操をしにいくのに登った坂だ。ある冬、珍しく大雪が積もって、近所の子たちと段ボールの橇ですべって遊んだこともあった。坂のなかほどに建つ寺では書道教室が行われていて、やはり小学生の頃、親のすすめで通っていた。みんなで素足になり、畳の上で正座をして列になって書いていた。あるとき前の女の子が足の裏をこちらに向けていたのを見て、墨筆でべちょっとやったら、ひゃあっと声をあげて泣きはじめた。それで、廊下に立たされたことを今もこの坂を歩くと思い出す。このあいだこの坂の景色を描いてみた。天気がよいと遠く帆柱山が見えるのだが、この日は朝霧にかすんでいた。
 小倉の実家には、美術大学時代に集めたレゲエのレコードを東京から送って置いてある。「スタジオ・ワン」「サクソフォン」「タフゴング」などのジャマイカ版レーベルだが、手作業でプレスするからだろう、溶けたレコード盤のエナメルが中央の穴に残っていてプレーヤーの芯に入らないので、それをナイフで丸く削りとってからかけていた。シングル盤などは、ジャケットもなく、薄い紙袋に入っているだけだ。しばらく聴いていなかったが、熱帯のように暑かったこの夏、久しぶりにかけてみると、自然と体が踊りだして元気がでてきた。かきむしるようなギターのリズムと地響きのような低音が胸のなかまで伝わってくる。大好きなバーニング・スペアなどは、鼻詰まりの男が大型トラックにまたがり、拡声器でがなりたて、砂埃をたてながら凸凹道を走っていくようである。そういえば、千さんとドン・ドラモンドの話をしたことがあったな。僕が持っているLPを添付しておこう。蒐集したレコードをかけるレゲエバーをやってみたいななどと、もう何百回思ったことだろう。マイヤーズのラム酒に、ビールはもちろん、レッドストライプである。
 どうにも暑い夏であったが、そろそろ朝晩涼しくなってきて、レゲエが遠のいていくのが、少々淋しくもある。郷里の小倉で、夏の残り陽にレゲエを響かせて、これから坂道のスケッチをカンバスに落としていく。
 (8月22日月曜日)

ドン・ドラモンドLPレコード
レゲエのレコード シングル盤
小倉風景 2022年8月21日


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