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第183回往復書簡 鳥たちとおきる 

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

 庭の夏椿が透きとおった小さな白い花を落としはじめ、そろそろ梅干しづくりだな、今年の夏はどこの海へ泳ぎに行こう、とそんなことを思っている。
 五十五歳か、、、、、、。
 その頃はPOPEYEで「のみ歩きノート」の連載が始まって、あちらこちらへ飲みにいこうとはりきっていたが、コロナの長いトンネルに入って、どこへも行けなくなった。それで家での晩酌と、昔飲んだ酒の記憶だけで書きはじめた。この「月金帳」はじまったのも、その頃。
 時間がたくさんできた。僕は、散歩の途中に道端に落ちていた木枝を拾ってきては、削って、台所やアトリエにとりつけるフックをつくりはじめたけれど、毎日手で硬い木をナイフで削っていると、何かが少しずつリセットされていくようだった。こういう生活をわるいとは感じなかった。ただ、その後、行きつけの酒場が次々と姿を消していったことは、いま思いだしても、あまりに悲しく、つらい。
 このごろはすっかり早寝になって、もう夜九時をすぎると眠たくなってくる。ゆうべは晩酌の途中で、近所の森で行なわれた幻灯会を見にいったあと、家でロウソクを灯してウィスキーを飲んでいたら、うつらうつらしてきた。演目は宮沢賢治の「黄色いトマト」という作品だった。暗い夜の森のなかで子供たちが目をキラキラさせていたが、賢治を理解していない僕にも、こんな催しにふさわしい作家だなと思う。
 今朝は、まだ暗い夜明け近くに目がさめた。起きようか、どうしようかと布団の中で目をつむってボンヤリとしていたが、こういうとき、夢の続きか、頭のなかに絵が浮かんで、それを追いかけている。これがなかなか心愉しい時間。そのうち柱時計の鐘が四回鳴って、うっすらと外が明るくなって、鳥たちのなき声がしはじめた。しばらく聴いていて、なんだかわからないが、よし、などとつぶやいて起きることにした。
  (6月5日月曜日)

無題(目覚めのときに)2023年6月4日

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