第96回往復書簡 しらが、14時35分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
牧野さん、ワクチン接種、おつかれさまでした。しばらく、ご無理のないようお過ごしください。
おとといの15日は、父の米寿の誕生日だった。みんなにお祝いしてもらうのを老後のたのしみにしていたのに、残念ながら願いは届かなかった。夕食のとき、大好きだったチョコレートケーキをそなえて、アロマキャンドルをつけて歌った。
ハッピーバースデイ、トゥ、ユー、ディア、ケイジさーん。
ハッピーバースデイ、トゥ、ユー。
三回忌は澄んだけど、まだ命日よりも誕生日のほうに親しみがある。
写真の父の髪は、きれいにまっしろ。しらがになるのがはやく、40代でかなりしろかった。父親参観日には、だれよりもりっぱなスーツで来てくれたけど、子どもときたら、ほかのお父さんより年をとっていて恥ずかしいなんて思っていた。
骨格、顔だち、ぜんぶ、父に似た。ちいさいころは、近所のおばさんに、お父さんをくっつけて歩いているみたいと笑われた。神経質、心配性、意気地なし。似なくていいところもいっぱいもらって、しらがも、そのひとつ。小学生のときから、耳のうしろあたり、本人には見えないところにあった。
母は気にして、寝ているときに抜く。ぷつんと痛くて、目が覚めて、あれはいやだったなあ。
若しらがのひとは、賢いのよ。なぐさめてくれたおとなもいて、同級生にからかわれると、賢いからあるんだもん。半べそで、反論した。
中学、高校は、ヘアカラーは、禁止。大学にはいっても、お金がないから、そのまんま。そのころから、長くのばしてひっつめるようになって、あんまりいわれることはなくなった。
はじめて髪を染めたのは、就職して、お給料をもらえるようになってからだった。遅れてきた反抗期のようにショートカットにして、いろんな色をたのしんだ。そうしていつしか、しらがは天敵。美容院では、いつもカットとカラーをするのが常になった。歳月がすぎ、50代になって、しらががあってもかまわなくなっても、つづいていた。
さて、このたびの自粛生活で、美容院にいかなくなった。じぶんで染めるのは、めんどう。それで、現在のありように対峙することとなった。
さぞかし、しろいんだろうな。覚悟した。生えぎわがしろくなって、それが長くなっていく。5センチものびたら、目がなじんで、まったく気にならなくなった。ひっつめているから、気にならないというのもある。悩んで気にした子どものときのほうが、目についていた。父が50代のころよりも、ずっとすくない。
これを機に、染めるのをやめたら、すこしは貫録でるかしらとおもったり、美容院にいけるようになったら、金髪のメッシュにしてもいいなとおもったり。まだ方針はきまらない。
おもしろいのは、しらがには、うねうねしているものがある。パーマをかけても、すぐとれたのに。しらがのソバージュヘアも、なかなかいい。高平哲郎さんみたいに、まっしろふわふわになったら、すてきだなあ。
このごろは髪を染めないひとを、グレイヘアと呼ぶ。かつて、白髪紳士は、ロマンスグレイと呼んだ。ロマンスは、のこしておいたほうがいいのに。
牧野さんは、しらが、すくないですね。
きんもくせいダブルマスクをくぐりぬけ 金町
(9月17日金曜日)
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