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第142回往復書簡 種、9時35分

 石田千 →    牧野伊三夫さんへ 

 毎朝、目玉焼きをつくる。フライパンには、ピーマンもいっしょにいれる。一年じゅう、かわりなく、ピーマン。幼稚園のころからの大好物で、お弁当にも、ピーマンいれてとねだっていた。
 ほんとうは夏の野菜だから、いまが旬で、おおきくてりっぱなピーマンが、安くてありがたい。きのうは、宮崎のピーマンを買った。
 へたのところに親指をつっこみ、ふたつに割る。このとき、流しにしろい種がたくさん散る。排水溝に流れるといけないから、紙で流しをふきとる。指にもくっつく。めんどうだけど、好物のため。種をつけたままでも食べられるけど、お皿にのせたとき、よろしくない。食べるときは、作るときのこころのあれこれは、すっかり忘れて、ただただ、うれしい。これは、本をつくるときと、おなじ。
 種がないピーマンがあれば、便利かもしれない。やっぱり種なしすいかのように、手はのびないかもしれない。火を通して、塩をふっただけで、こんなにおいしい、ありがたい。
 梅干しや桃は、ひとつの実に、ひとつの種。一球入魂か、数で攻めるか。ひとの精子は、後者、しかもとてもたくさん。すいかやピーマンをみれば、複雑な構造の生きものだから、種が多いということもなさそう。それぞれのいのちの、試行錯誤の現在の結論がある。
 お医者さんの許可も出て、はじめてワクチンを接種できることになった。あとから承認されたワクチンで、住む町の病院では受けつけているところがなかった。受けつけていたけれど、発熱のかたの診察で手いっぱいになって停止したとおっしゃった病院もあった。対応をされている病院のかたがたのご苦労に、あらためて接した。
 3年ぶりに新宿に出て、都庁で接種となった。
 新宿に出るのがこんなにおそろしいのは、大学のころいらい。
 渋谷で倒れて、救急車で運ばれてから、電車通学がこわくなって、バスで通っていた。そののち、やさしいボーイフレンドができて、四年かけて電車通学ができるようになった。
 今回は、大切な友人のゆりさんが、同行できるよといってくださった。ほんとうに、ほんとうに、ありがたい。
 ようやく、みんなに会える日のための、用意がはじまる。一歩進めることが、ありがたい。
 このからだには、こわいの種が、数えきれないほどつまっている。けれど、おなじように、ありがたいの種もあって、こちらのほうがたくさんつまっている。だから、こわいを越えられる。ずっと、そうやって、生きてきたんだ。
 やっと、けさ、わかった。

  ピーマンの種飛び散っていのちかな  金町
  (8月12日金曜日)


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