第42回往復書簡 朝顔、6時25分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
牧野さんは、早起きのご様子ですね。
朝の散歩は、さわやかで、いろんな発見があって、うらやましい。
夏のあいだ、いつにもましてしょぼくれていたのは、昨年スズメバチに刺されたからで、つぎに刺されたら救急車といわれている。日のあるうちは、用心しなくてはいけない。
ベランダに出て、水やりをするのも、とっぷり暮れてから。しばらく早起きをして、日の出までにしていたけれど、つづかなかった。そういうわけで、雨が降ると、水やりが休めて、すこしほっとする。
洗濯も、干せない。輝く太陽のもとに、タオルやシーツを干せない。それも、気が滅入る。長くできていたことが、できなくなる。そんなことが増えた。そうして、これからきっと、潮どきと手放していくことが増える。それはそれで、鴨長明の家をお手本にしていく。
つまらない夏のあいだは、せめて寝たいだけ寝る。そうしていたら、5時起きが6時になり、このごろは、6時20分。
あわてて起きて、ラジオ体操をする。小学生の夏休み、顔も洗わずねぼけたままで、むかいの公園に出ていったころにもどってしまった。
それでも、きのうの朝は、カーテンをあけて、よろこんだ。
あおい朝顔、ひとつ咲いた。
まえに、ことしは朝顔を育てなかったと書いた。そのあと、お盆になって、引きだしに種を見つけた。おととし、苗から育てて、そのあと採集していた。苗の朝顔は、あんまり花がつかなかった。それでも、いいや。まだまだ暑いだろうし、葉っぱだけ見られたらいいと、夜の植木鉢に落とした。
種は、生きていて、すぐに双葉となり、本葉もはやかった。そこから、みぎ左の月桂樹とばらにからまった。月桂樹は、なんでもないようにしている。ばらは、すごくいやがっている。朝顔は、酔っぱらって、だれかれかまわす肩を組むひとのようだった。そののち、しらふにもどって、ベランダの柵に気がついて、からまった。そういうのを、室内猫のように、ガラス越しにながめていた。
葉っぱは、くるくる伸びるけど、やっぱり咲かない。そう思っていたら、父の誕生日の晩、水やりをしたら、つぼみをひとつ見つけた。そうして、きのうの朝。初咲きを見た。お父さん、ありがとう。利休の茶会のように、一輪を見て、体操した。
けさは、ふたつ咲いていた。遠目、夜目で、見ていないつぼみがある。花は、きのうより、ちいさい。初咲きは、もうすぼんでいる。朝はあおく、昼ちかくになると紫に近づく。
朝顔は、秋の季語。
このごろは、晩にかけていたCDをそのままかけて、机にむかうようになった。
この部屋に越したら、風の通り道で、いろんな音がする。ラジオは、ことばに耳がいく。いろいろためして、夜みたいな音楽がいいとわかった。
寝るまえにきくのは、チャーリー・ヘイデンのベースで、これは長年かわらない。
パット・メシーニや、キース・ジャレットとのアルバムもいい。
その音楽は、語るよりも聞き上手。うれしいときも、かなしいときも、泣いていいんだよといってくれる。泣きながら寝ることはないけど、安心して眠れる。
そうしてけさも、安心して、しろさんと働いている。
書き終えたら、リズ・ライトにかえる。
Blue Roseは、朝顔の歌。旅ごころある歌詞で、とてもいい。
咲いているうちに、聴かなくちゃ。
朝顔の花見。父の好きな、ほうじ茶をのむ。
朝顔やあの世便りのあおさかな 金町
(9月18日金曜日)
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