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10月になり、日が伸びる

緊急事態宣言が明けた。10月も3分の1が過ぎた。恐ろしいことに2021年もあと3ヶ月も経たずに終わる。いろんなことがあったような気もするし、何もなかったような気がする2021年。

家族に会ったのも、昨年末、親類の弔事に関してが最後で、それもほんの僅かな時間だけだった。
遠方に住む友人の顔を最後に直接見たのはいつだろうか。
新入社員の歓迎会ができるのはいつなのだろう。いや、その前に送別会も溜まっているのだけれど。

何かしようと思って、「落ち着いてからにしよう」と思い直し、「何をもって落ち着くってするんだろう…」なんて暗澹たる気持ちになったことなんて数えきれない。

いろいろな人たちの努力の積み重ねと運の良さもあり、私にとってはありがたいことにワクチン2回接種完了できた8月上旬。9月になれば感染対策をしっかりして、少しずつ日常に戻れると思っていた。

医療従事者の方や生活インフラを支えてくださっている方達のことを思うと、仕方がないことだったのかもしれないけれど、
緊急事態宣言の延長は心に重かった。
誰が悪いわけではない。皆必死だ。皆それぞれの立場で頑張っている。

けれど、自分の心にポカリと開いてしまった穴というか、
降り積もる寂しさというか、そう言ったものをどう処理すればいいのかわからなかった。

たまに出社した時の「数人で段ボールを整理する」という作業にすら、「ああ、協働してる」と密かに泣きそうになってしまった私は、やはり何かが病んでいたのだと思う。
けれどそういったことすら「でも…私はテレワークできる職種だからそんなことを思うだけで…毎日現場で働いている人に対して失礼かもしれない。」とか考えてグルグルして…。

うん、たぶんちょっとだけ病んでいた。

私以外にもこういった思いを一人で抱え込んで、静かに弱っている人は結構いるんじゃないかと思う。


緊急事態宣言が明けたからと言って、何もかも元通りにしていいなんて、そんな事かけらも考えていない。

私は好きなバンドのライブに行くことが数少ない趣味で、不要なものではないのだけれど、
以前のようにアルコール片手に見知らぬ人とハイタッチ、皆で歌う、みたいな一体感を取り戻すにはまだ時間がかかることもわかっている。

けれど、「それ自体は感染リスクの高いことではないけれど、人流を抑えるために我慢して」と言われてきたことを少しずつ再開できるようになった気がする。

例えば、静かなお気に入りのカフェで本を読みながら休日の夜を過ごすとか。
20時閉店と21時閉店。1時間の違いだけれど、かなり違う。

何というか、日が伸びたような気がするのだ。
自由時間が増えたと言ってもいいかもしれない。

緊急事態宣言が出ていようがいまいが、感染防止対策をしている店・人はしているし、していない人はしていないのだろう
だけど、緊急事態宣言というのはそう言った事情に関係なく「一回全部止めよう」ということなんだろうな、と思う。(私見です)

緊急事態宣言が明けて、自分で考えて選べるようになった。
誰と過ごすか、どこで過ごすか、何をして過ごすか。
自分にとって何が必要なことで、何なら我慢できることなのか。

大げさかもしれないけれど、自由を取り戻したような気がする。


これはあくまでも私の場合であって、様々な事情で、選択の余地ない生活を必死で送っている人もいるのはわかっているつもりだ。
私が見ている世界なんて、ほんの一部だということも。

ただ、自分の気持ちを少し解放してあげたくて、noteに残しておこうと思う。

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