たくさんの足跡

もうすでに歩き始めていることに「気づく」こと。

水瀬次郎です。

ゴールデンウイーク、充実しながら過ごせていますか?

休みは休みで予定が多い、という人もいると思います。

仕事だよという人も、少なくないことでしょう。

いよいよ週末ということで、

「来週からの開運」に向けたテーマを絡めて、

少しだけ話をしようと思います。

もうゴールデンウイーク後の世界が始まっています。

関東地方のニュースでは、

帰省先からのUターンラッシュが報道されはじめます。

週末、土日この二日間。まだまだ楽しめますよね。


同時に、

すでにもう「来週からの新しい動き」が始まっています。

ゴールデンウイーク中に何かをしようと予定を立てるのって、

おそらくゴールデンウイーク前ではないでしょうか。

前もって予定を立てている、だから、すんなり行動できるわけです。


当たり前と言えば、当たり前です。


同じことが、連休明けや休暇明けにも言えるんですよね。

休み明けは、ぼけてる暇なんてあるのかな、という感じです。


休み中に「予定」を立ててしまいましょう。

脳内限定スケジュールでもいいです。


組み立て設計図さえ作っておけば、自然に体と心が行動します。

自然に行動することが、開運につながりやすいのでオススメです。


好きなことだと「努力」を意識しなかったりします。


好きなことをしていると、

特別なにか「努力」をしている感覚とは違うといいますか、

そんなに意識しないんじゃないかなと思います。


集中しているエネルギーが強いからです。


集中力が薄い状態だと、

「頑張ってるんだよ!」という感情が、

すくすくと成長しやすくなります。


悪いことではありませんが、

「頑張ってるだよ!」という感情が、

自己主張を強めてしまうと、

ちょっと集中力が妨げられてしまうんですよね。


すくすくと成長・・・ちょっと雑草的なたとえ話で。


整えた庭に、雑草が生えてくるのと似ています。

育てているハーブとは異なる、どこからともなく舞い降りてきた草が、

すくすくと成長してしまっている状態です。


雑草と言っても、実は、それぞれに名前があります。

人によっては、大切に育てている場合もあります。

だから雑草が悪いわけでは、ありません。


ただし、

あまりにも放置しすぎてしまうと、

住宅地では害虫の繁殖や悪臭の原因になったりして、

近隣に迷惑が掛かってしまいます。


自然は大切ですが、

個人の庭先の「自然」に関しては、

ありのままでいいとは限らないのが現実です。


公園の自然だって、いろいろとお手入れされています。

庭も、しかるべき対応が求められると言っても良いでしょう。


世間的に「雑草」と分類される植物であっても、

あなたが「好き」ならば、育てていいことも多いです。


知らない人にとっては、ミントなどのハーブは「雑草」なわけです。

知っている人にとっても、「望んでいない」のならハーブは「雑草」です。


あなたが大切に育てているなら、

「たいていの庭であれば迷わず抜かれて捨てられてしまう存在」

そんな雑草が、

「虫除け効果を期待できるローズゼラニウム」であったり、

「野良猫に侵入予防に効果的なドクダミ」であったり、

「増えて手に負えないけど爽やかな香りのするレモンバーム」になれます。


「選んで育てる」のがポイントです。


つまり、

雑然と繁殖してしまう植物というくくりではなく、

「私が好き」や、

「家族に役立つ」(害虫忌避効果や爽やかな香り成分)など、

育てる姿勢が問われるわけです。


「選んで育てる」ことがポイント、

つまりそれは、

「名前を呼べる」かどうかです。


ほら、そこに生えている草の名前です。


「選んで育てている」のなら、自然に「名前が呼べる」と思います。

あるいは、

名前は知らないけれど、

いつか名前を知りたいと願うと思います。


あなたのことを「なまえ」で呼ぶ人のことを思い浮かべてみてください。


おいそこの「〇〇〇」と、

名前ではなく職業名や抽象表現で呼ばれてしまうと、

わかるときも多いでしょうが、


「え。誰。わたし?」


みたいに周囲を見渡して、

キョロキョロと確認することにだって、なるわけです。


なまえ。

なまえがつけられる。

名前で呼ばれる。

それって、すごいことなんですよ。

存在を認められていることですから。


自分で自分を励ますとき、

「なまえ」で呼んでいますか?


鏡に向かって「頑張れ私」でもいいです。

「私がんばってる」と自分で自分に語る、それもいいです。


そのうえで私がオススメするのは、

「鏡に向かって名前を呼ぶ」方法です。


私の場合ならば、

鏡に向かって、

「よ。ジローがんばってるな。ちゃんと見てるぞ」と言います。


声に出さずに脳内発声が多いのですが、

ここぞというときは声に出して名前を呼んでいます。


名前で呼んで、呼び掛けて、励まして、奮い立たせて。

「他人」にしかできないこと、ばかりではありません。


たったひとりの自分でも、できることがあります。

ここに、そこに、「いま存在している」のは誰ですか?


まさに、いま、

そこにいて私の言葉を読んでいる「あなた」は、

あなたにとって、かけがえのない存在です。


残念ながら、いまの私は「あなた」の名前を知りません。

いつか知り合えるかもしれませんが、少なくとも「いま」は、

残念ながらまだ私は「あなた」の名前を知らないのです。


しかし、

あなたは「あなた」を知っているのではないですか?

あなたの名前を呼ぶことのできない私と違って、

あなたは「あなた」を「なまえ」で呼べるひとなんです。


あなたが「あなた」を呼んだ瞬間、その場で強烈な居場所が構築されます。


なにかを始めよう、と決意したときは、

もうすでに「第一歩」を踏み出している状態です。

ただ途方もなく遠くが見えているだけです。


もうすでに歩き始めていることに気づくのは、

「あれ。こんなに進んでる?」と振り返ったときかもしれませんが、

そのときは「たくさんの足跡」をつけたあとのことなんです。


もうすでに、開運の第一歩を、踏み出していますよ!


ありがとうございます。幸運がめぐりめぐって、あなたにも還りつつ、さらに私のもとへ再びめぐり、さらにまたあなたのもとにもめぐり、いつか「豊かな人生」だと気づきますように。ともに過ごせる世界と時代を喜び申しあげます。