ある日、昨年お世話になったテレビ局の方からメッセージが届く。
「熱源って小説を知っていますか?」
【 樺太アイヌ 】が主人公の小説があると耳にしたことはあるとお答えすると…
「今、直木賞の候補になっています!ぜひ読んで感想をお聞かせください!」
へえ‥すごいな、と思いつつ、読んでみますと返事しました。
それから数日後、
「熱源が直木賞を受賞しました!」
すごい!!本屋に向かいましたが時すでに遅し‥。完売でした。ネットでも完売だったので増版されるのを待つしかないなあと思っていました。
1月末に白老とアイヌ文化のPRのため出かけた東京。会場となるビルの中にあった書店にありました!
そして、完全オフ日に読みました。
わたしの母方の祖先は樺太アイヌです。樺太から日高地方、そして、白老の社台にたどり着いたと。
なので、熱源を読みながら祖先のことを想いました。
「 人 」
読み終えて思ったことはみんな同じ「人」なのだということ。優劣もなく、感情というものを持っている「人」
「あたしもあんたも、まだ生きてる、なら、できることがある」
始めたのも「人」なら続けることができるのも終わらせることができるのも「人」なのだと。誰がやるとかでもなく、生きてたらなにかできる、とあります。
たとえば、世界規模の悲しい出来事、辛い出来事はわたし個人では何もできるはずないと思っていたけど、でも始めたのがわたしと同じ「人」ならば、わたしでも何かできるかもしれない‥。
熱源にはアイヌのほかにいろんな民族がでできます。でも、みんな同じ「人」なのだということ。みんな同じ想いをかかえている「人」なのだと…。
「 文明 」
「文明」も人がつくってきた。本の中で「文明」に翻弄されている和人、そして、和人に翻弄されるアイヌ。アイヌの子どもが文明ってなに?という問いに大人のアイヌは「たぶんだが」と前置きし「馬鹿で弱い奴は死んでしまうっていう、思い込みだろうな」と応えます。
文明に沿わず、自分たちの暮らしを続ける民族は「未開人」修正が必要であると言う軍曹。
「文明」は人に優越をつけるためのものになってしまっています。
同じ「人」なのに??
少数民族が自然と共に生きている姿を野蛮と言い、自分たちより劣っているという。なにを根拠にそういうのか?文字をもたなければ、学問がなければ生きていけない?
生活を営む知識があれば「生きて」いける。わたしたちは「命」を全うするため生まれて生きていく。
そう考えると、答えはとてもシンプルで生きるための知恵があればいいのだと思う。それが都会で暮らす、山で暮らす、それぞれの中で生きる知恵があれば十分な氣がします。新しい環境で暮らすなら、そこで生きる知恵を得ればいい。
生きる。心豊かに生きること。ここを満たすことが大事なのだと思いました。
「 熱源 」
心に豊かさをもって生きられるなら、どんな生き方でもいい。生き方は一つではない。
「こうでなければならない」が現在もどれだけの人を生きづらくしているか…。
自分の人生なのだから、生き方も自分で決めていい。自分の内側の意思や本性に従う「自由」であっていい。
わたしの「熱源」は人と関わることだと氣づきました。どんなに落ち込んでいても人と話をしていると元氣になる。だから、ミナパチセはわたしの元氣のもとです。ミナパでの出逢いはわたしのパワーの源です。
熱源は過去のことが書かれていますが、今、わたしたちが抱えている様々な課題を解決するためのヒントがちりばめられています。
自分らしく、「自分」を生きるために。
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