五本腕のサチさん

 五本ある。右に三本、左に二本。腕の話。彼女の話。
 彼女は一番下の右腕に鞄を提げて、わたしは一本しか腕が生えない右肩に鞄をかけて、じりじりと肌を焼く夕日が照らす帰り道を進んでいる。街路樹に橙色のブロック歩道。駅まで続くこの道を通るときは、よく秋のイメージをする。赤や黄色に染まった葉っぱが歩道に散らばって、歩道の橙色と色違い、それらをオレンジ色の夕日が照らすのが目に心地よく、そんな感触をひっそりと楽しむ。
 今、歩道に落ちている葉は深い緑。それはそれで夏の色がくっきりしていていいのだけれど、秋の枯れた質感のほうが0.5ポイントくらいの差で好みではあった。そうした好みはどうしようもなくて、ちゃんとの説明はなかなかできない気がする。
 放課後の帰り際、たまたま世界史の教師に見つかって、書類運びを一緒に頼まれて、運び終わって一緒にピンクグレープフルーツ味の飴をもらって、帰り道が途中まで一緒なので彼女と並んで歩いている。隣の五本腕の彼女はサチさんという。五つも袖のあるブラウスなんてどこで売っているのだろう。
 話すこともそんなにはなくて、彼女の袖口をちらちら見ることに意識のほとんどを集中させていると、彼女が顔の真ん中にある一つの目をわたしのほうに向けてきた。腕は五つなのに目は一つだ。バランスの問題かも知れない。彼女は右腕の上の二本を重ねて、指を絡めたり離したりずらしたりして遊んでいた。それをわたしに見せているふうでもあった。
「五本袖のブラウスなんてどこで売ってるの?」
 すいっと袖から彼女の顔に視線を滑らせてわたしが聞くと、彼女は「ん」と吐息を漏らすようにして口元を笑みにした。
「大体通販かな。大きなショッピングモールとかでもあるけど」
「あんまり置いてないの? ああ、胸大きい人が大きいサイズのブラを買うときみたいな?」
「……胸ないけどね」
「……わたしもこれから成長する予定なので」
「成長するといいねえ」
「そんな目で見るのはやめて」
 大きな目を細められると、少し怖くて、どことなく気持ちがもぞもぞとする。
 あと、駅ビルの地下とか。ん、何が? 服買うの。ああ、駅ビル。駅ビルの地下は妙な店が多いよね。うん、それは、うん。そんなふうにちゃんと意味のない話を続けながら歩いて、途中のバス停のところで立ち止まった。信号の向こうにバスがきているのが見えた。わたしはここでバスに乗って、彼女は駅までいって電車に乗る。
「じゃあ、ここで」
「うん、じゃあ。……えー、また明日」
「うん、また明日」
 プシューッと停まったバスに乗り込んで、わたしは真ん中くらいまで進んで吊革につかまった。すぐ前の座席には幼稚園くらいの女の子とその母親らしき人が座っている。
 バスが動き出したところで窓のほうに向けてそっと手を振ってみる。橙色の歩道をのんびりと歩いていた彼女も気づいて、唇の端に笑みをのせ、目を細めて右の一番上と真ん中の腕を振り返してくれた。上と真ん中とで少しずらした振り方で、何だか質量を持った残像みたいだった。もっと素早く振ったら腕が十本くらいあるように見えるかも知れない。目の前に座っていた幼稚園くらいの女の子が、つられるようにそおっとサチさんに向けて手を振った。あはは、と笑うのが見えた。


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