私は私が責任を背負えるように、サポートしてほしかった

いまの仕事。

正社員やろうとしたら少なからず「育児丸投げできる身内がいないと無理」というレベルに拘束時間が長い。
でも、
「私は自分で育てたかった」からパートになったって話をきいて、ハッとした。

私もそうかもしれない。

いや、違う。
本当は
「夫婦で育児当事者」になりたかった。
でも元夫はそれを望まなかった。

結果、育児の比重は私が正社員でいれるキャパをとうに越えた。
実家には基本頼らず保育園とファミリーサポートと病児保育を駆使しても限界はきた。
三人目の育休から復帰してすぐ、私は正社員をあきらめた。

私には「実家の近くに住んで実母に育児サポートされながら仕事を続ける選択肢」が、
実はあった。
私が、最初から選ばなかっただけで。

結婚する時点で住居を実家近くを選ばなかったのだ。
それは「母の影響がダイレクトに届く場所で子育てしたくなかった」んだとおもう。

はじめての妊娠中、不安になり、母に弱音を吐いたことがある。
「赤ちゃんを虐待したらどうしよう。」
母は答えた。
「それなら赤ちゃんを私に頂戴。私が育てるから。」これがすべてだと思う。
この距離感。

「あ、この人には任せられない」と私は思った。

相手を大人だと思っていたら、このセリフはでない。

「あなたがそれをしないように、できることはするから、安心しな」と、私は、おそらく言って欲しかった。

私の責任を取りあげるのではく、責任を背負えるサポートが欲しかった。

物理的に難しくても。
気持ちの面だけでも。

結局、
「責任を背負えるようサポート」してくれたのは、夫でも母でもなく、保育園の先生であり学童の先生でありファミリーサポートさんであり同僚であり、友人だった。
いまは精神科や小児科の先生も入って、「困ったら相談できる場所」が、私には複数ある。

それでなんとか母親をやれている。

「お母さんに預けたりしないの?」
本当に何回も何回も外野から聞かれたけれども。

私にとって、
「育児を母親に丸投げして仕事に専念する」ということはつまり、

「私がされたことをもう一度我が子がされる」ということに他ならなかった。

例えば今みたいに「学校しんどい」を子がいうたときに、子どもそっちのけでオロオロし、心配だ心配だと泣き叫び、こどもを当事者から押し出す、そういう育児だ。

そういう育児をする人に「信頼して任せる」が、 私にはできなかった。

「当事者を当事者から押し出す」「本人が背負える責任を奪い自分の問題にしてしまう」人に、子を委ねるということ、が、私の選択肢にはなかった。

むしろ「絶対に避けたい項目に入っていた」事実に気づいたのだ。

そうだったのか。


私は将来我が子が、
「あのときはつらかった」とこぼしたとき、
「だってお母さんも辛かったんだもの」と打ち返すことだけはしたくない。

そのためにいま、必死に向き合ってる。
できることをぜんぶしてる。

だから私は元気で余裕があり私は私を大切にしていなければならない。

最近、
我が子が「お母さんのせいで!」から抜け出して、「自分はどうしたいか」「それはなぜか」を真剣に考え、伝えるようになってきて、

ああ、私はこれがやりたかったんだな、っておもう。

だから丸投げしたくなかったんだな、っておもう。

私はずっと「自分の責任を背負えるようサポート」されたかったのだ。


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