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桐野安生はなぜ「怪人嫉妬マン」の最後のひとことにこだわるのか

有田、ザコシ、錦鯉につづき、フワちゃんが地獄の桐野に蜘蛛の糸をたらす

深夜ラジオ界に激震走る。

フワちゃんのオールナイトニッポンクロスで新コーナー「桐野安生のコーナー」開始。
またしても、桐野をほっとけない人が現れた・・・!

まだランジャタイがブレイクする前の写真!

桐野安生は40すぎの売れないピン芸人だ。ハリウッドザコシショウら率いるSMAに所属している。
口癖は「金言いただきました」「いやいや、違います」
何かアドバイスをもらったときに、納得いけば前者、ほとんどは後者で返事する。
会話のときに常に口答えをしているようで話が進まないから、ラジオのゲストに呼ばれたときなど、本当にイライラしている視聴者が出てくる。

すごいのは、有田哲平、小峠、ザコシ、みんな怒るときは激しく怒る人だし、気に入られたら仕事にもつながりそうなのに、「いや違います」「いやいやいや、シショウ」で返事をする。
近い芸人および視聴者の評判は、プライドが高い、かわいげがない。打っても響かない。覇気がない。地獄など。

なのに、もう一生売れずに終わるのかと思ったら誰かが話題にしてチャンスをくれる。

ネタは、奇抜な格好であるあるネタをやったり、シュールな漫談をしているが、あるあるはウケているのは見たことない。だけどキャラクターの設定とか、後ろで流れる自作BGMが妙にクオリティ高かったり、なぜか記憶に残る。

錦鯉も、自分のラジオ「人生五十年」の初回で、同じ事務所のヤバイ奴として名前をあげている。人気芸人たちが名前を出してキッカケを作ってくれるし、次はどんなネタで来るのか予想できないから期待してしまうけど、なかなか波に乗れない。

有田哲平が若手芸人と共演する「有田ジェネレーション」でプチブレイクしたが、うまくいかず地上波での放送終了の原因とささやかれている。

番組内でライバルだったムラムラタムラとの共闘が実現した。地獄で少年ジャンプが発行されていたらこんな展開だと思う

みんなにバカにされ、突き抜けてないコウメ太夫みたいな芸風なのに、本人はプライドを捨てきれない。笑われるのではなく笑わせたい。
その痛々しさに、だれもが「自分も若いころはこんな時期があった」と桐野の中に自分を見て、うっかり手を差し伸べる。

代表作なのに幻の「フルーツあるある」


もう救いの手は差し伸べられないかと思ったら、ここにきてフワちゃんのオールナイトニッポンクロスで、桐野の代表作「フルーツあるある」のリズムにのせて、あるあるネタを言う「桐野安生のコーナー」が突然始まった。

フワちゃん、マジで義理堅い性格じゃないか。今の彼女が昔いっしょの事務所で苦労した桐野を応援しても一文の得もないのに、番組内で「桐野で検索してみて」と紹介してくれた。
地下芸人にとってはありがたいチャンスに思えるけど、桐野は肝心のそのネタをあまり推さないのだ。上の動画の一部でやっているけど、自分の唯一テレビでハネたネタを自分のチャンネルでやらないのだ。

なぜフルーツあるあるをやらないのか。
桐野氏によると、小道具のフルーツを全部銀色に塗って「フルーツあるあるメタル」になって完結したなどとあいまいな供述を繰り返していた時期もあった。

このへんの桐野の心理は、全国の桐野研究家が頭をかかえるところなんだけど、唯一世間に通用した代表作を封印して、海でたそがれてる姿を撮影して、みんなにつまんねえって言われていじけている。

もともとシャイな映画好きで、クレイジーなSMA軍団よりはウッチャンナンチャンみたいな人なのかもしれない。

「嫉妬マンはあなたの中にいるのです」

もうひとつの代表作「嫉妬マン」は、バレンタインでチョコをもらえなかった男が嫉妬あるあるを言うネタだ。
友達と寿司を食べた話をしてたけど友達だけ回らないお寿司だったとか、あるあるのクオリティは狂気が見える前のコウメ太夫レベルだが、嫉妬マンはバカな動きをしたあと、最後に「あなたの中に私はいるのです」的なことを言って締める。

このシメのひとことに、完全なバカとして扱われたくない桐野のプライドが見える。

嫉妬マンだけでは、視聴者にみじめなヤツと見下されて終わってしまう。だけど、最後に「あなたの中にも醜い嫉妬心はある。私はあなたの中にいるのです」と言うことで、バカだなあと思った視聴者と対等に立つことができる。

ダイアモンドの値段。富士山の標高。桐野のプライド。
信じられないほど、高い~!(SAKURAI)

ただ、これは何かを発信したり書いたりした人は思い当たるんじゃないか。
できれば、いいように見られたい。
憧れのあの人のようになりたい。
自分の作品に自信がなくて、必死で宣伝するのも照れる。
やはり嫉妬マンは視聴者の中にいるっちゃいるのだ。


読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。