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ニューヨークの紳士
2006年9月。
18歳の私は米デトロイト空港で途方に暮れていた。
約12時間前、
これから始まる大学生活に不安と希望をいっぱいにして
地元大阪からニューヨークに旅立った。
今はなきノースウエスト航空。
周囲の大人に守られ
綺麗なもだけを見て生きていた18歳の私は
その航空会社の悪評など発想にもなく
値段が安いからとデトロイト経由ニューヨーク便を予約していた。
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初めて一人で乗る国際線。
デトロイトでの乗り換えのシュミレーションを
わからないなりに頭の中で何度もして
さぁ乗り換えとデトロイト空港に着いた瞬間凍りついた。
ニューヨーク行きの便はキャンセルになっていた。
今ならわかる。
そんなことはよくあることで
新たにチケットを発券してもらえばいいだけの話。
ただそれが18歳の無知すぎる私には
心拍数がとんでもなく上がるできごとだった。
今の時代ならスマホがあるから
空港のWiFiに繋げて調べるなり
SNSで助けを求めるなり方法はいくらでもあるが
当時はガラケー。
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困り果てた私は、公衆電話を探し
ノートに走り書きしていた
国際電話のかけ方を見ながら実家に電話をした。
電話したところでどうにかなるわけではないけれど、
とにかく安心したかった。
18歳、大人ぶっていた私も結局は子ども。
困ったら親に頼るのか、だっさ。
と自分に突っ込んだりして。
繋がったと思ったら、どこにかけたのか
「は?あんただれ?!」ガシャン。
さらに絶望した。笑
周りを見渡すと
航空会社のカウンターには押し寄せる人の波。
怒鳴る乗客と他人事のような空港スタッフ。
なるほど、私はここに入って
チケットをもぎとらないといけないんだ
心臓をバクバクさせながら腹をくくる。
![](https://assets.st-note.com/img/1690794657813-Rz6E79aUKX.jpg?width=800)
人ごみをかき分け、
「Excuse me! My flight was cancelled. I want to have a ticket to NY!!」
知ってる限りのつたない英語で言ってみる。
無視。
え?無視?
なんの免疫もない私はまた絶望して途方に暮れる。
どれだけの間椅子にぼーっと座っていただろう。
不安で押しつぶされそうになりながら
私はニューヨークにいくんだ、
そのために頑張ってきたんだ
と鼓舞してまたカウンターに向かう。
握りしめていたニューヨーク行きのチケットを見せて
Give me a ticket to NY!!!
気づけば、大声で怒っていた。
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そんなこんなで無事ニューヨークに到着。
日本を発ってどれくらいの時間が経ったのだろう。
到着したのは予定のJFK空港ではなく
NYにある小さなニューアーク空港だった。
まわるレーンを何周見送っても、スーツケースは見当たらない。
予め空港から寮まで申し込んでいた送迎ももちろんいない。
外は闇に包まれているように真っ暗だった。
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ニューヨークに着いた安堵で
ぼーっと突っ立っていた私に
背の高いスラッとした紳士が声をかけてきた。
「デトロイト空港で君のことを見かけたよ。
スーツケース届かないんでしょ?僕もだよ。
あそこにロストラゲージのカウンターがあるから手続きしておいで。」
「あ、疲れていると思うけど住所は適当に書いたらだめだよ。一言一句間違わないように。とても大事なポイントね!」
はぁ、、とふらふら歩いて窓口に行き
言われた通りに何度も住所を見直しながら
ロストラゲージの申請をした。
![](https://assets.st-note.com/img/1690795647094-YeuPpsyM7y.jpg?width=800)
すると、また紳士が近づいてきて
「どこまでいくの?僕もそっち方面だから一緒にタクシー乗っていきな」
疲れ切った私は成すすべもなく、
その紳士と同じタクシーに乗った。
滞在予定の学生寮の住所をドライバーに伝えると
それが間違っていないかメモ書きを何度も見返しながら
紳士は確認をしてくれた。
今ならなんと危ないことをしたんだろうと
ヒヤっとするがなぜか私はあの時
この人は多分大丈夫、と思った。
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憧れて憧れて、ようやく着いたニューヨーク。
窓から見えた光り輝く夜景に感動する余裕もないほど
疲れきっていた私に紳士はこう言った。
「あなたは今からここニューヨークで生きていくんでしょう。美しい街に見えるよね。
でもいい?これだけは覚えておいて。
ここで生活をするということは、自分の意見や意思をはっきり主張する必要があるということ。
主張のない人はこの街では一人の人としてみなされない。
気を抜かず強くいなさい。
自分が潰れないように目標を持ち続けなさい。
そして新しい人生のNew Chapterを思いっきり楽しんで
ね」
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紳士は私を学生寮の前で降ろし、
ここに泊まっているから困ったら連絡しておいで。
と一枚の紙切れを渡してきた。
そこには、私の学生寮と真逆にある高級ホテルの名前と電話番号が記されていた。
4日後、私の全てがつまったスーツケースは無事学生寮に届けられた。
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そのあと、紳士に連絡することもなければ
その紙切れの行方も
名前や顔さえも全く覚えてないけれど、
紳士が最後にくれたアドバイスは
ニューヨーク生活が長くなればなるほど
槍のように突き刺さるリアルな教訓だった。
憧れた街ニューヨーク。
憧れという綺麗な言葉では到底言い表せられない
この街での経験は今でも私の血肉となっている。
そして、あの時のことを思い出すと
今だに少し胸がチクッと痛む。
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