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chefs for the blue

はじめに言っておきたいのは、世界の海がヤバイという事。人間が人間の都合で自然界の理を大きく変え、その不安定さが人間と多くの生命に危険を及ぼすred lineまでもうすぐそこまで来ている。

地球温暖化。乱獲。海洋資源の枯渇。マイクロプラスチック。フードロス。人間の食べるを取り巻く環境負荷。詳しい科学的数字はググれば直ぐに出てきます。傷付き死に絶えた動物達が出てきます。現実です。

だけどその数字や動画を自分ごとに出来る人はどれだけいるのだろう。日本という世界的なマーケットにおいてイニシアチブを握る国が、世界の食糧危機や餓死や様々な動物を死に至らしめている現実を無視し続けていいのか。生態系の破壊、食物連鎖の崩壊。なんか活字にまとめると、綺麗事並べた宗教みたいに感じる人もいるかもしれないですが、全然違います。そして採るな食べるなという事では有りません。現実と向き合い、食の専門家として、我々料理人はエンドユーザー(食べ手)に「環境に負荷の無い美味しいを提案する」事が必要不可欠な時代に入りました。

人間の欲の為に、壊された自然界の理。料理とは理を料ると書く。料理という手法を用いてそれを変えようという方々がいます。

「chefs for the blue」

料理の力を信じ、理を料り、整える。
日本のトップシェフ達が集まり、深夜に勉強会を開き、地方各地に赴き、漁の在り方を学び、交流を深め日本から世界の海を変えようとしている料理人の団体。

富山県魚津市。
この街の自慢は半径30キロという狭くコンパクトなエリアに、立山連峰2400メートル級の山々と深海1000メートルにも及び富山湾、3400メートルの高低差が収まっている事。海水が蒸発し雲となり、山にぶつかり雨雪となり、川となり、地下水となり、海に帰る。この水の循環が魚津の宝。

そんな我が街魚津市にchefs for the blueの皆様が来てくださるチャンスをある男ががむしゃらになって掴みました。(私じゃ無いです)

11月11日。chefs for the blueが魚津市へ。富山に着いてその足で海風亭で昼食。私なりに言葉と料理で想いを伝えました。

魚津の自慢。魚津の課題。魚津の可能性。

皆さま世界を股にかけるトップシェフ、ジャーナリスト。だけど同じ料理人。

本気の訴えかけに本気で応えて下さりました。

その後は、魚津漁協周辺での加工品工場の視察。

その後は意見交換会。射水市の漁師さん、魚津市長、市の農林水産課、商工観光課、魚商、漁協、我々料理人、県の水産課、chefs for the blueの皆様、そしてL’evoの谷口シェフ、カーブロンドの浅野さん。

ここで見えた課題は、料理人の声が漁師さんには全く届いていないという事。そして我々料理人が言った事を実践したところで市場価値が上がらない現実。どれだけ活け〆の魚が良いと言えど、世話な上に高く売れない。魚津のエンドユーザー(食べ手)には求められていない。だからやらない。悪循環。我々の責任は重大です。

またフェアトレード出来ていない事。谷口シェフが仰ったのは漁師さんとの距離が遠すぎる事が問題。中間マージンが多くかかりすぎている。直で取引出来る獲った人の顔がお客様に見える漁師さんの魚で料理を作る事が重要である。

また資源管理、ブランディングという面においては射水市に大きく遅れを取っており、魚津はこれからが大事。

ただ射水市さんの例は大変参考になるもので、白えびという特殊性は在るものの、ブランディング次第では魚津にも沢山良い素材はある。

「射水市の白えび漁」
魚群探知機の進化により、採ろうとすればどれだけでも獲れる様になった。しかし数年前の海の変化によって変わった。だんだんと個体は小さくなり、漁獲量も右肩下がり。若手の漁師達が変革をもたらす。

10隻有る白えび漁船は漁獲競争を起こさない為に獲った白えびは全て集められ、競りにかけて売られ、10隻に均等にお金が支払われる、プール制を採用した。

資源管理を徹底して、だんだんと白えびの大きさも大きくなり、量も増えてきた。漁に行く回数は減らしたが漁獲量は安定している為、漁師さん達は時間に余裕がある。そんなおり北陸新幹線の開業。白えびの価格は一気に跳ね上がった。収入も、時間も手に入れることの出来る白えび漁の漁師若返り、順番待ちがある程人気の職業だという。

これが答えだと思いました。この答えを射水市の漁師さん達は先を見て行動していた。魚津の漁師さんにも伝えたい。

我々にできる事は価値を高める事。そしてその高い価値を漁師さん達に伝える事。

その後は浜多屋本店にて交流会。
ここでは、魚津の郷土料理を浜のおっかちゃん方(スーパーコンパニオン)と一緒に料理を作りおもてなしをしました。

「時計の針が止まったままの魚津」

浜多雄太が最後に皆さまに向けて言った言葉ですが、正にその通りだと思いました。変わらない魚津の良さも沢山あります。

しかし街全体が一丸となって、魚津の在り方を考えなきゃいけない。昔のままでいいはずが無い。変わらなくちゃいけない。そのチャンスがchefs for the blue。今目の前に有る。

射水市にとって北陸新幹線が価値を高めてくれた要因であるとすれば、魚津にとってはこの機会こそそうである。

我々は、新川食文化研鑽会。私はそれに乗っかっているだけなんですが、今まで積み上げてきたものが、この様な機会に繋がり、

ゆっくりと魚津の時計の針が動き出したように感じました。

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